慈照寺銀閣

所在地 京都府京都市左京区銀閣寺町 種別 近世以前/住宅
構造形式 東面及び西面8.2m、北面7.0m、南面5.9m、二重、宝形造、こけら葺
時代区分 室町中期 年代 長享3年(1489)
指定年月日 1951.06.09(昭和26.06.09) 所有者 慈照寺
銀閣寺は、正式には、東山慈照寺。室町幕府8代将軍足利義政は、文明14年(1482)頃から東山の地に山荘東山殿の造営を始めた。延徳2年(1490)に義政が死去した後、東山殿は、遺言により禅寺の慈照寺に改められた。
敷地内には会所、常御殿に加え観音殿、東求堂などが設けられていたが、慈照寺となった後、観音殿、東求堂以外は失われた。
銀閣は本来、観音殿と呼ばれるが、祖父・足利義満の金閣と対比して、銀閣と通称される。一階を書院造の要素の濃い住宅風、二階を禅宗様を基調とした仏殿風にしつらえる。金閣とならぶ楼閣建築の双璧。


一階の和様の住宅建築に、二階の禅宗様の仏堂を積み重ねた特異な折衷様式の建造物である。これは金閣と同じである。


銀閣の名称は、祖父の金閣にあこがれた義政が、銀箔を貼る予定であったためといわれるが、俗説らしい。 杮葺宝形造の屋根に、青銅の鳳凰が東面して載る。


一階は心空殿と呼ばれ、和様の住宅風の造り、二階は潮音閣と呼ばれ、三間四方の部屋に観音坐像を安置する。 二階の潮音閣は釣鐘形の華頭窓を配した禅宗仏堂の造り。周囲に勾欄を廻らす。

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