孝恩寺観音堂

所在地 大阪府貝塚市木積 種別 近世以前/寺院
構造形式 桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、本瓦葺
時代区分 鎌倉後期 年代 鎌倉後期
指定年月日 1953.11.14 所有者
観音堂は、もとは観音寺の堂であったが、観音寺は明治年間に廃寺になり、観音堂は大正期に孝恩寺に合併された。孝恩寺は浄土宗寺院であるが、その由来については不明。
観音寺は行基の開基によるとされる奈良時代に遡る古寺であり、平安時代までは七堂伽藍が揃った大寺であったといわれる。室町時代に入ると、戦火に巻き込まれ、特に、根来寺の傘下にあったため、豊臣秀吉の紀州攻めの際に、観音堂を除くほぼ総ての堂を焼失した。
観音堂は、行基の創建といわれるが、鎌倉時代に再建されたものである。


桁行・梁間ともに五間の寄棟造である。
正面五間の中備蟇股(下の写真参照)となっている。

釘を使用しないで建立されているので、「釘無堂」とも呼ばれている。もっとも、古建築では釘を使わないのが原則なのであるが。


側面五間の中備えは、間斗束となっている。正面の蟇股は見た目を重視したからだろう。窓は連子窓 正面五間の蟇股


創建が行基とされているからか、屋根葺きは行基葺である。 堂内部


貝塚市の小積南の交差点を大阪方面からみて左折し、400mほどいくと、小さい川にかかる橋がある。その手前の細い道を、左折して100mと少しで孝恩寺に着く。周囲の道は狭く、駐車することは無理なので、車の場合は、小積の交差点付近のスーパーやコンビニの駐車場に車を置いて、歩いていくのが無難。孝恩寺は、観光客が訪れるようなことがない普通の寺であり、境内は自由。(2008.10.04)

国宝建造物目次に戻る
前の頁に戻る                     次の頁に進む