北野天満宮本殿、石の間、拝殿、及び楽の間

所在地 京都市上京区馬喰町 種別 神社
構造形式 本殿: 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、右側面三間庇付、檜皮葺
石の間: 桁行三間、梁間一間、一重、両下造、檜皮葺
拝殿: 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝七間、軒唐破風付、檜皮葺
楽の間: 東西各桁行正面二間、背面三間、梁間二間、一重、一端入母屋造、他端拝殿に接続、檜皮葺
時代区分 桃山 年代 慶長12年(1607)
指定年月日 1959.06.27 所有者 北野天満宮
附指定 1956.06.28 棟札6
北野天満宮は、全国に一万社以上ある天満宮の総本社。右大臣であった菅原道真は、藤原時平の讒言によって大宰府の権師として左遷され、失意のうちに死去する。この後、都では疫病が蔓延し、時平や皇太子の死、内裏への落雷などが続き、道真の怨霊によるものとおそれられる。そこで、巫女・多治比文子が道真の霊を祭った祠を、天暦元年(947)に移して社殿を設けたのが、北野天満宮の始まりとされる。
天徳3年(959)、藤原師輔によって社殿が整備され、以後、足利氏や豊臣秀吉などの尊崇を受ける。天正15年(1587)の、秀吉による北野大茶会は有名。
社殿は、創建以来幾度かの火災を経て、豊臣秀頼が慶長12年(1607)に造営したものであり、権現造の代表的遺構である。



拝殿正面
入母屋造の本殿と拝殿が石の間を挟んで前後に建ち、平面形状が「エ」字形になっている。
この「エ」字形の形式は平安時代の発祥であるが、北野天満宮は現存する最古のものとされる。
徳川家康を東照大権現として祀る日光東照宮がこの形式を取り入れて以来、権現造と呼ばれるようになった。
入母屋造の屋根に大きな千鳥破風が載り、平入の軒先に軒唐破風が付く。


            拝殿
千鳥破風と軒唐破風と多くの蟇股で装飾されている
楽の間
        本殿の右側面
三間の庇が見える。本殿の入母屋屋根の右の屋根が石の間。
本殿

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