石山寺本堂

所在地 滋賀県大津市石山寺一丁目 種別 寺院(真言宗)
構造形式 本堂:桁行七間、梁間四間  相の間:桁行一間、梁間七間  礼堂:懸造、桁行九間、梁間四間  本堂及び礼堂:寄棟造、両棟を相の間の屋根でつなぎ礼堂の棟をこえて破風をつくる、総檜皮葺
時代区分 平安後期 年代 永長元年(1096)、
礼堂:慶長7年(1602)
指定年月日 1952.11.22 所有者 石山寺
石山寺は、聖武天皇の勅願により、良弁僧正が天平19年(747)に、現在の地に聖武天皇の念持仏を安置したことにより、始まる。さらに天平宝字3年(759)、淳仁天皇により保良宮が近くに造営され、石山寺は造石山寺所という役所のもとで、保良宮を護持する寺として拡張され、官の寺として伽藍が整えられる。
平安時代になると、醍醐寺の影響下に入り、真言密教の教学の寺となる。一方、観音霊場の寺として、皇族・貴族が参詣するようになる。石山寺は承暦2年(1079)に大火災に見舞われ、本堂はじめ多くの堂舎が焼失したが、鎌倉時代に入り、武士とのつながりのなかで、現在みられる景観の堂舎がほぼ出来上がった。観音巡礼は室町時代から江戸時代にかけて盛んになり、西国三十三所観音霊場第13番札所の石山寺は、現在も多くの参詣者を集めている。
石山寺には、国宝建造物として、本堂の他に、多宝塔があり、また東大門と鐘楼は国重要文化財。
石山寺本堂は、承暦2年(1079)の大火で焼失した後、永長6年(1096)に再建されたものであり、滋賀県では最古の建造物である。正堂と礼堂からなる複合建築物であり、如意輪観音を安置する桁行七間、梁間四間の正堂の南に、桁行九間、梁間四間の礼堂を建て、両者を一間幅の相の間で繋いでいる。正堂と礼堂の屋根はそれぞれ寄棟造りで、棟は平行しており、これを縦に結ぶ屋根を相の間に懸けてある。従って棟はエ字型になるが、礼堂の屋根だけが低いので、相の間の屋根の破風が正面に見える。正堂から礼堂の側にかけて、地盤が下がっているので、礼堂は床下に高い柱を入れて支える懸造になっている。現在の正堂は、永長6年(1096)に再建されたものと変わっていないが、礼堂は慶長4年から7年(1602)にかけて、淀殿らの寄進によって建て直されている。



石山寺本堂は、その周囲の敷地や樹林等の関係から、一枚の写真に納めることはできない。


「石山寺」と書かれた提灯の奥が紫式部源氏の間であり、この部分が相の間となっている。従って、この部分より右側が正堂、左側部分が礼堂である。


礼堂の東面 礼堂の南面(正面)
礼堂の南面(正面)

礼堂の正面は懸造りになっている。
正堂の背面側 正堂の屋根  寄棟造檜皮葺

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