不動院金堂

所在地 広島県広島市東区牛田新町三丁目 種別 近世以前/寺院
構造形式 桁行三間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、こけら葺
時代区分 室町後期 年代 天文9年(1539)
指定年月日 1958.02.08(No0192) 所有者 不動院
不動院の前身は、室町初期に足利尊氏が、後醍醐天皇をはじめ南北朝動乱で亡くなった人の霊を慰めるために、各国に建立した安芸の安国寺といわれる。しかし戦国時代の大永年間(1521-1527)に戦火にあい、また安芸守護の武田氏の滅亡とともに、寺勢も衰える。そして戦国時代の末期に、毛利氏の外交僧から豊臣の大名僧となった安国寺恵瓊によって再興されたとされる。寺名の不動院は、臨済宗から真言宗に改められた際に改名されたもの。
国宝の金堂は、大内義隆が周防山口に建立したものを、安国寺恵瓊が移築して仏殿としたものと伝えられている。
不動院には、重要文化財に指定された建造物として他に、楼門と鐘楼がある。
文化庁の解説文を以下に転載する。
「不動院はもと安藝の安国寺で、大永年間兵火にあい、建物はほとんど焼失した。現存の金堂は天正年間、山口市より移建したと伝えている。その建立年代は明らかでないが天井墨書に天文九年(一五三九)とあり、その頃竣工したものと思われる。唐様として現在最大の遺構であり、優れた意匠と特色ある架構は注目すべき建築である。」


中国・元代の禅宗様(唐様)を取り入れた室町期の建築である。

現存する唐様の建築物として、最大規模であり、中世の禅宗仏殿を代表する遺構とされる。


軒下には裳階をめぐらせ、正面一間は吹き放しとなっている。


内部の床は土間であり、手前二間が礼拝用の外陣、奥一間が本尊を安置する内陣となっている。本尊として薬師如来(重文)が安置されている。


妻飾りは、虹梁大瓶束。また懸魚三ツ花懸魚。屋根葺は杮葺 裳階の軒下の垂木。二軒繁垂木であり、二軒ともに扇垂木となっている。


正面一間の吹き放ちの繋ぎ虹梁 唐様仏殿に多い、華頭窓と、波連子欄間

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