元興寺極楽坊本堂

所在地 奈良市中院町 種別 寺院(真言律宗)
構造形式 桁行六間、梁間六間、一重、寄棟造、妻入、正面一間通り庇付、本瓦葺、閼伽棚を含む
時代区分 鎌倉前期 年代 寛元2年(1244)
指定年月日 1955.02.02 所有者 元興寺
附指定 1955.02.02 厨子及び仏壇 1具、棟札 1枚
元興寺の前身は、蘇我馬子により飛鳥の地に建立された、日本で最初の正式な仏寺といわれる法興寺(飛鳥寺)。
和銅3年(710)に平城京が造営されると、法興寺も養老2年(718)に奈良の地に移され、寺の名も元興寺と改められる。平安時代の前半までは、南都七大寺の一つに数えられ、おおいに栄えるが、平安時代の後半になると、天台・真言系の新しい寺院の興隆に押され、衰退の道を辿る。
そして元興寺は崩壊に至るが、元興寺の僧坊の一つであった極楽坊は、所蔵する「智光曼荼羅図」が有名になり、本寺を離れて南都系浄土信仰の寺として独立する。浄土信仰の他に、地蔵信仰、聖徳太子信仰、弘法大師信仰の寺でもある。
本堂は、僧坊(元興寺東室南階大坊)一部を仏堂としたものであり、極楽堂、曼荼羅堂とも呼ばれる。智光の住坊が前身といわれ、浄土曼荼羅を本尊とする。


僧坊が大改造された寄棟造であるが、大棟が奥行方向に向き、正面から登り棟のみが見える造りは多くない。


本堂の外観は寛元2年(1244)に大改造された姿であるが、内陣に奈良時代の僧坊の身舎部を残しているとされる。
奈良時代の古材も多く再利用されている。


正面一軒は通り庇となっている。


正面の通り庇の部分。欄間は吹寄菱格子欄間。中備え間斗束板蟇股の二段になっている。 屋根葺は遺構の少ない行基葺となっている。西流れの屋根面は、興寺から移建されるときに飛鳥から運ばれた古瓦である。
内陣の浄土曼荼羅の一部

国宝建造物目次に戻る
前の頁に戻る                     次の頁に進む