醍醐寺金堂

所在地 京都府京都市伏見区醍醐伽藍町 種別 近世以前/寺院
構造形式 桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺
時代区分 平安後期 年代 平安後期
指定年月日 1954.03.20 所有者 醍醐寺
附指定 1959.06.27 棟札1
醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山。真言宗山岳道場であった醍醐山の頂に、貞観16年(874)、理源大師聖宝が准胝・如意輪両観音を祀ったのが始まりとされる。そして、醍醐天皇をはじめ、皇室の庇護を受け、山上(上醍醐)に薬師堂、五大堂、山下(下醍醐)に釈迦堂(いまの金堂)、法華三昧堂、五重塔などが建立され、三宝院などの塔頭もつぎつぎと建てられた。
その後、応仁の乱で五重塔を残して下醍醐は焼失、上醍醐は荒廃する。慶長3年(1598)に豊臣秀吉が開いた醍醐の花見を契機に、豊臣家により復興され、下醍醐では金堂や三宝院などが再建され、上醍醐では開山堂や如意輪堂などが再建された。
醍醐寺金堂は、醍醐天皇の勅令により延長4年(956)に創建され、釈迦堂と呼ばれていたが、二度焼失し、現在の金堂は、豊臣秀吉の発願によって、紀州湯浅の満願寺本堂を慶長4年(1599)に豊臣秀頼が移して再建したもの。醍醐寺の中心的なお堂であり、建物とともに移された薬師三尊像が醍醐寺の本尊である。


金堂は、醍醐寺の中心的なお堂であり、建物とともに移された薬師三尊像が安置されている。
この薬師如来(国宝)が醍醐寺の本尊である。


移築の際に、檜皮葺本瓦葺に変更された。
また肘木などの随所にも後世の変更のあとがみられるが、平安建築の優美さが伝えられているとされる。


柱の上の組物出組み中備え間斗束 妻飾り豕扠首懸魚猪の目懸魚。

国宝建造物目次に戻る
前の頁に戻る                     次の頁に進む