秋篠寺本堂

所在地 奈良市秋篠町 種別 寺院
構造形式 桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺
時代区分 鎌倉前期 年代 鎌倉前期
指定年月日 1953.11.14 所有者 秋篠寺
秋篠寺は、奈良時代末期宝亀7年(776)、光仁天皇の勅願により、平城京大極殿西北の地に、薬師如来を本尊として、興福寺の僧善珠大徳が開基し、次の桓武天皇のときに完成したと伝えられる。往時は、金堂、講堂、東西の塔をもった大寺であったが、平安時代の火災で講堂以外が焼失。また明治維新の廃仏毀釈により寺域の大半を失う。
宗派は、当初の法相宗から、平安時代に真言宗になり、明治初年に浄土宗になったのち、昭和24年に単立宗教法人として、特定の宗旨宗派から独立している。
本堂は、鎌倉期に、講堂を再建し、以来本堂と呼ばれて現在に至っている。本堂内には、本尊の薬師如来・日光菩薩・月光菩薩の三尊像の他に、愛染明王像、帝釈天像(美人像として有名)などが安置されている。


勾配の緩やかな寄棟造の屋根、簡素な組物を持つ。


事実上の鎌倉時代の建物であるが、様式的に奈良時代の建築の雰囲気が残されているとされる。


柱の上の組物大斗肘木、組物間の中備えは間斗束

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