吉田城

所 在 地  愛知県豊橋市今橋町 別 名  豊橋城 今橋城
遺 構  曲輪 石垣 土塁 空堀 模擬櫓 形 式  平城
築 城 者  牧野古伯  築 城 年  永正2年(1505)
歴 史 吉田城は、今川氏の家臣の牧野古伯によって永正2年(1505)に築城されたのに始まるとされる。当初は今橋城と称した。
永禄7年(1564)、徳川家康は今橋城の攻略に成功し、酒井忠次を城主とした。
天正18年(1590)、酒井氏は徳川家康に従って関東へ移封し、岐阜城から池田輝政が吉田城に入った。吉田城は、池田輝政によって、今の規模の近世城郭へと改修された。
慶長5年(1600)、池田輝政は播磨・姫路に移封され、慶長6年(1601)に松平(竹谷)家清が入封した。
以後、譜代大名が頻繁に交代し、慶長17年(1612)に松平(深溝)忠利が入封、寛永9年(1632)に水野忠清が入封、寛永19年(1642)に水野忠善が入封、正保2年(1645)に小笠原忠知が入封、元禄10年(1697)に久世重之が入封、正徳2年(1712)に松平(大河内)信祝が入封、享保14年(1729)松平(本庄)資訓が入封、寛延2年(1749)に松平(大河内)信復が入封。
以後、大河内松平氏が7代で明治維新まで在封する。
歴 代 城 主 牧野氏、酒井氏、池田氏(15.2万石)、竹谷松平氏(3万石)、深溝松平氏(3万石)、水野氏(4万石)、水野氏(4.5万石)、小笠原氏(4.5万石)、久世氏(5万石)、牧野氏(8万石)、大河内松平氏(7万石)、本庄松平氏(7万石)、大河内松平氏7代(7万石)


本丸
北西隅の鉄櫓があった位置に三重櫓が復興している


        本丸の復興三重櫓
模擬櫓であるが、下見板張で、天守とみがまうばかりに堂々とした風格がある。
           本丸内側の石垣
刻印のある石が混在しており、名古屋城築城に余った石が転用されたといわれる。


本丸の東・北・西の三面を取り囲む空堀 本丸の北面の帯曲輪


三の丸の南面の土塁 三の丸の北東隅の石垣


現地案内板の城図


吉田城は、豊川と朝倉川の合流点にあり、本丸の東・北・西の三面をを二の丸が、さらにその外側を三の丸が囲む、半輪郭式の縄張りである。背面の北側は豊川に面しているが、腰曲輪を設けて防御性を高めている。


<アクセス>
吉田城址は豊橋公園となっており、JR豊橋駅の北東約1km。国道1号線の豊橋公園交差点を北へ折れてすぐ。車の場合、公園への突き当りを右折して次の交差点を左折すれば、公園内に入ることができる。奥に無料駐車場がある。

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