吉田城
所 在 地 | 滋賀県犬上郡豊郷町吉田 | 別 名 | ― |
遺 構 | 濠の一部? | 形 式 | 平城 |
築 城 者 | 不明 | 築 城 年 | 不明 |
歴 史 | 佐々木源氏の一族、佐々木厳秀が吉田の地に移り、吉田を名乗ったとされる。吉田城は、この吉田氏の居城。 元亀2年(1571)、織田信長軍に攻められ、吉田城は落城し、跡形もなく焼き討ちされた。浅井氏と六角氏のいずれに与して、信長に攻められたのか不明。 吉田氏は地頭としてこの地に存続するが、厳秀の9世の子孫が京都に隠棲し、角倉を名乗る。その子孫が、角倉了以である。 |
歴 代 城 主 | 吉田氏 |
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吉田城は、岩倉川と子増川を自然の外堀とし、その水を引いて内掘としていたと想像されている。内掘の一部が残っているといういうが、確認することができず、不明。 織田信長に攻められた際に、徹底的に破壊され、城郭としての跡が殆ど消滅した。 現在、城の中心曲輪に位置するとされる岡村酒造の駐車場の一角に、石碑が立つのみ。 |