山崎城

 所 在 地   京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王山  別 名   天王山城
 遺 構   天守台 曲輪 石垣  形 式   山城(270m)
 築 城 者   赤松則祐  築 城 年   南北朝時代
 歴  史  山崎城は、天王山の山頂(270m、比高240m)に築かれた山城。南北朝時代に赤松則祐により築城されたのがはじめとされる。
天王山は、天正10年(1582)の本能寺の変の直後、羽柴秀吉と明智光秀が天下をかけて戦った山崎合戦において、羽柴秀吉が拠点とした。
そして同年の清洲会議で羽柴秀吉は山城の国を領有し、天王山に山崎城を築いた。
翌、天正11年(1583)、羽柴秀吉は大坂城に拠点を移し、山崎城は廃された。
歴 代 城 主 羽柴秀吉


山頂付近に僅かに残る石垣の痕跡?


山頂の本丸跡 奥の土盛は天守台とされる 天守台


天王山の山頂(標高270m、麓からの比高230m)に本丸、その北側の一段下に二の丸、本丸の南側の下の竹やぶに三の丸がある。本丸の東寄りに天守台がある。遺構の残存状態は良好とはいえない。


            旗立松
山崎の合戦の際に、戦場を見晴らす天王山の中腹にある松に、羽柴秀吉が軍旗を掲げさせて、戦意を鼓舞したとされる。
旗立松の位置から見晴らした、山崎古戦場の地。山崎は、淀川と、天王山の間に挟まれた隘路となっており、天王山を占拠することによる有利さがよくわかる。


<アクセス>
JR山崎駅の踏み切りを渡った西北の裏手が天王山へのハイキングコースの入り口。宝積寺の境内を抜けて、山道を0.6kmで旗立松のある展望台。さらに途中で酒解神社を通りぬけながら0.6kmで山頂の城跡に達する。京阪神地域で人気のあるハイキングコースであり、整備もされており、迷うことはない。駐車場はないが、宝積寺の参拝・墓参用の駐車スペースを利用することが可能。

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