妻木城

 所 在 地   岐阜県土岐市妻木町  別 名   −
 遺 構   石垣、曲輪、虎口、土塁、堀切  形 式   山城(標高409m)
 築 城 者   土岐頼重  築 城 年   南北朝時代
 歴 史  妻木城の築城年は明らかでないが、土岐頼重が、暦応2年(1339)に祖父の美濃守護・土岐頼貞から妻木の庄の遺領を継いだ以降であると考えられている。
土岐頼重は、土岐明智氏、妻木氏の始祖である。4代目の頼照が妻木氏を称し、代々、妻木城を居城とした。
妻木氏は、関ヶ原の合戦では徳川方に属し、戦後、土岐郡南部を安堵された。しかしその後、万治元年(1658)、当主の頼次が死去すると、跡継ぎがないために断絶し、妻木城も廃城となった。
歴 代 城 主 土岐・妻木氏


一の曲輪(奥)と二の曲輪(手前)の間の石垣と、虎口。虎口は明確な枡形をなしており、戦国後期から江戸期にかけてものを思われる。


妻木城は、妻木の町を北側に望む、標高409mの城山の山頂に築かれている。主郭の周囲を曲輪が囲み、特に南西の尾根に沿って曲輪が連なる。主郭は北側のニの曲輪と南側の位置の曲輪からなり、石垣によって一の曲輪が一段高くなっている。三の曲輪から、北側に妻木の町を眺望することができる。城山の北側麓に、御殿跡や士屋敷跡がある。


二の曲輪 奥の石垣から向こうが一段高い一の曲輪 手前が一の曲輪 虎口の石垣より向うが一段低い二の曲輪


一の曲輪 主郭の西側の堀切


現地案内板の
妻木城縄張り図


<アクセス>
妻木小学校の前を南下し、崇禅寺のほうへと曲がり、崇禅寺の前を通過して約2kmで、右折する道がある。妻木城の案内標識がある。この道を入ってすぐ、右側に折れる林道があるので、この林道を1kmほど進むと、林道の終点に駐車スペースがある。城は、ここからすぐ。(2009.06.03)


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