高浜城
所 在 地 | 福井県代飯郡高浜町事代 | 別 名 | ― |
遺 構 | 曲輪、石垣 | 形 式 | 平山城(海岸城) |
築 城 者 | 逸見昌経 | 築 城 年 | 永禄6年(1565) |
歴 史 | 砕導山城を構える逸見昌経は、永禄4年(1561)、若狭守護職武田氏の内紛に乗じて反乱を起こすが、越前朝倉・武田連合軍に破れ、砕導山城は落城する。永禄6年(1565)、昌経は、再起を期して、小浜湾に突き出た小半島に高浜城を築いた。 逸見氏は織田信長からその地位を認められるが、天正9年(1581)以降、逸見氏は改易され没落する。 その後、溝口秀勝、山内一豊、木下利房、京極高次と城主が交代する。次いで、小浜に酒井忠勝が入部するまで、城は存続したが、その後、破城されたようだ。 |
歴 代 城 主 | 逸見氏、溝口氏、山内氏、木下氏、京極氏 |
城跡は、城山公園として整備されている。しかし、階段状の削平地や、山頂の削平地に、曲輪の痕跡を残す程度。 公園に整備した結果、城郭の遺構がかえって破壊されてしまったという皮肉な例である。 |
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![]() 現地案内板による、高浜城想像図 |
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高浜城は、海に突き出た小半島に築かれており、三方を海に囲まれた海城である。 山城が一般的な戦国時代にあって、三方を海に囲まれた要害性のために、平山に築城することが可能になったと考えられる。 |
<アクセス> JR若狭高浜駅の北約1kmにある。国道27号線の「高浜駅」交差点を北へ折れると、突き当りが高浜港。港に車を置いて、港に沿って右のほうへ歩くと、ホテル「城山荘」がある。その奥の半島の山が、城跡。(2006.07.28) |