一乗谷朝倉氏館

 所 在 地   福井県福井市城戸の内町  別 名   −
 遺 構   門、土塁、空堀  形 式   居館
 築 城 者   朝倉孝景  築 城 年   文明3年(1471)
 歴 史  朝倉氏は播磨国養父郡を発祥地とし、南北朝時代に主家の斯波氏に従って越前に入国した。朝倉孝景(敏景)のとき、応仁の乱に乗じて、斯波氏、武田氏を追い出し、一乗谷に本拠を構えた。
以後、一乗谷は、孝景、氏景、貞景、孝景、義景の朝倉氏5代103年間、越前の中心として栄えた。
天正元年(1573)、朝倉義景のとき、織田信長に攻められ、朝倉氏は滅び、一乗谷も焼き討ちされて灰燼に帰する。
歴 代 城 主 朝倉氏5代


            館の正面
正面と両側の三方は、土塁と濠により囲まれている。門は、豊臣秀吉により再建されたとされる唐門。
              館の敷地
敷地は約2000坪。常御殿、主殿、会所、茶室、花壇、台所、厩、蔵など。
 
   
中の御殿跡
朝倉義景の母・高徳院の居館と伝えられる。
  諏訪館跡
朝倉義景の夫人・小少将の屋敷跡と伝えられる。
 
     
復元街並み 復元街並み 復元街並み
復元街並み 復元街並み 下城戸の城門跡


一乗谷川に沿って開けた谷あいの、主として右岸に朝倉氏館が築かれ、左岸には城下町が経営されていた。上城戸と下城戸の二箇所に土塁と城門を築いて、外敵の侵入に備えた。また、館の背後の一乗城山(海抜473m)の尾根には一乗谷城が築かれていた。

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