周山城
所 在 地 | 京都市右京区京北周山町 | 別 名 | ― |
遺 構 | 空堀、石垣 | 形 式 | 山城(標高480m、比高220m) |
築 城 者 | 明智光秀 | 築 城 年 | 天正7年(1579) |
歴 史 | 天正7年(1579) 織田信長から丹波平定を命じられた明智光秀は、宇津頼重を滅ぼし、京洛を望む要害の地に、周山城を築いた。光秀が自らを周の武王にみたて、織田信長を殷の紂王にたとえて、周山と名づけたといわれる。 豊臣秀吉の時代には、加藤光泰が一時入り、天正12年(1584)には秀吉も一時入城したといわれる。 しかし、以後の廃城になったいきさつなどは、不明。 |
歴 代 城 主 | 明智光秀・加藤光泰 |
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本丸跡の石垣の跡 |
丹波の敵対勢力に備えて、京の北に築城された城である。 本丸跡の石垣、蔵屋敷跡、馬かけ場、陣地跡など15箇所の遺跡が残るとされる。しかし明瞭な痕跡を見出すのは難しい。 |