首里城

所 在 地 沖縄県那覇市首里錦城町・首里当蔵町 別 名  
遺 構  石垣 城門 曲輪 復元宮殿・門 形 式  平山城
築 城 者  不明 築 城 年  14世紀
歴 史 首里城の創建については詳しくわかっていないが、14世紀頃といわれる。
南山に属する佐敷按司の尚巴志は、1406年に浦添城の中山王を滅ぼし、自分を後継者として父の尚思紹を中山王にした。そして居城を佐敷城から浦添城に移した。
尚巴志は1416年に今帰仁城の北山を滅ぼし、さらに1426年に南山城の南山を滅ぼして全島を統一し、琉球王国を建国した。尚巴志は浦添城から首里城に移り、首里城を整備した。
尚巴志の系統の第一尚氏王朝は、1470年に家来の金丸のクーデターで転覆され、金丸は尚円を名乗って第二尚氏王朝が始まる。尚円を継いだ尚真の時代に琉球王朝は最盛期を迎える。
1609年、薩摩の島津氏が琉球に侵略し、琉球王国は島津家に支配される。
1872(明治4)年、明治政府により琉球藩が設置され、尚泰を藩王とする。
1879(明治11)年、琉球王国は廃止され、沖縄県が設置される。いわゆる琉球処分により、琉球王国は滅びる。
1945年、太平洋戦争の沖縄戦により、首里城の建物は壊滅する。1992年、沖縄本土復帰20周年を記念して、首里城は復元された。
歴 代 城 主 第一尚氏、第二尚氏


上の門:歓会門 右の門:久慶門


首里城は、地形を利用して内郭と外郭とに分けて築かれている。内郭、外郭ともに城壁で囲まれている。城壁は琉球石灰岩の切石を積んだ石垣で形成されており、総延長は1000mを超える。城壁の高さは6〜15m、厚みは約3mである。
首里城は、昭和20年の沖縄戦で壊滅的に破壊された。平成4年に、沖縄本土復帰20年を記念して復元された。世界文化遺産。


歓会門(あまへ御門)
首里城の正門
瑞泉門(ひかわ御門)
門の前の湧水「龍樋」にちなむ


漏刻門(かご居せ御門)
櫓の中に設置された水時計にちなむ
広福門(長御門)
「下之御庭」へ続く門


奉神門(君誇御門)
「御庭」へ続く最後の門
正殿
首里城の中心 政治・儀式が行なわれた


左:南殿 右:番所
南殿で薩摩の役人を接待した 
右掖門
正殿裏側の御内原へ通じる門


淑順門
国王や家族が暮らす御内原への表門
久慶門(ほこり御門)
通用門であり、主に女性が利用した


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