諏訪原城

 所 在 地   静岡県島田市菊川  別 名   牧野城、金谷城、扇城 
 遺 構   堀、土塁、曲輪  形 式   平山城
 築 城 者   武田勝頼  築 城 年   天正元年(1582)
 歴 史  諏訪原城は、天正元年(1582)に、武田勝頼が遠江に進出するために、重臣の馬場美濃守晴信に築かせた。武田勝頼によって高天神城が奪取されたあとは、諏訪原城は高天神城への兵站の重要拠点となった。
長篠の戦いで武田勝頼を破ったあと、徳川家康は天正3年(1574)に諏訪原城を落とし、牧野城と改称した。
諏訪原城は、武田勢が籠る高天神城を包囲する城の一つとして、徳川家康によって改修されたが、天正9年(1581)に高天神城が落ちると、諏訪原城は役目を終え、天正18年(1590)に廃城となった。
歴 代 城 主 武田氏、徳川氏


             3号堀
帯曲輪の外側の堀。各曲輪はこのような堀で画されいる。写真では堀の迫力が表現できないのがもどかしい。
       三の丸大手口の土橋


本丸 本丸のカンカン井戸


12号堀
三の丸の馬出の三日月堀である
            諏訪神社
武田氏が諏訪明神を勧進したもの。諏訪原城の名のいわれでもある。


諏訪原城は、牧の原台地の東端に築かれた平山城である。東側が崖面となっており、本丸を東端に配し、その西側に二の丸と三の丸を南北に並べて扇形に配置している。また二の丸と三の丸にはそれぞれ馬出が備えられている。各曲輪は大規模な堀で分断されている。
中核的な城とはいい難い諏訪原城に、幅といい深さといい圧倒される規模の堀が残されているとは、信じがたい。堀だけでも必見の城である。


現地案内板の図

本丸、二の丸、三の丸、大手郭、帯郭、西の丸、搦手、亀甲郭の八つの曲輪を扇形に配置された縄張りであり、扇城とも呼ばれる。


<アクセス>
JR金谷駅と、国道一号線菊川ICの中間に位置する。城址への入り口に、専用の無料駐車場がある。(2009.06.06)

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