白地城

所  在  地  徳島県三好市池田町白地 別  名  
遺  構  曲輪 土塁 形  式  山城
築  城  者  近藤京帝 築  城  年  南北朝時代
歴  史 白地城は、南北朝時代に近藤京帝により築城された。近藤氏は大西氏を名のり、阿波守護の細川氏に従った。また戦国期には、細川氏から実権を奪った三好氏に服属した。
天正4年(1576)、四国制覇をねらう長宗我部元親は白地城の立地に目をつけ、白地城を攻略する。長宗我部氏は城を大規模なものに整備し、四国統一の拠点とする。
天正13年(1584)、豊臣秀吉が四国征伐に乗り出すと、白地城は長宗我部氏の防衛拠点となるが、長宗我部氏は降参し、以後、白地城は廃城となる。
歴 代 城 主 近藤氏 大西氏 長宗我部氏


立派な石碑が空しく立つのみ わずかに残る土塁の一部
白地城は、西の境目峠を越えると伊予国に、北の猪ノ鼻峠を越えると讃岐国に、吉野川を東に下ると阿波国の中心の徳島平野に、吉野川を南に遡ると土佐国に至る位置に立地する。このように四国の十字路といえる位置にあったので、長宗我部氏による四国制覇の拠点とされた。四国随一の規模であったが、今は全く面影がない。特にかんぼの宿の建設により、遺構は殆どが失われてしまった。


<アクセス>
三好市池田町の国道32号線の池田大橋の西詰から、国道32号線に沿って川ぞいに500mほど南へ進むと、山手に入る上り坂がある。この道を集落の間を通りながら道なりに300mほどで「阿波温泉あわの抄」がある。この宿の右側の奥に石碑が立っている。周囲に駐車することはできないが、宿に広大な駐車場がある。(2010.10.18)

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