鹿野城

所  在  地  鳥取県鳥取市鹿野町鹿野  別  名  王舎城
遺  構  水堀 曲輪 石垣 形  式  平山城
築  城  者  志加奴氏 築  城  年  天文12年(1543)
歴史 鹿野城は、志加奴氏によって天文12年(1543)に創建されたとされるが、尼子晴久の侵入によって滅ぼされた。
天正年間には、織田軍の侵攻に対する毛利方の防衛拠点になるが、天正8年(1580)に羽柴秀吉が鳥取城を攻める際に攻略される。亀井玆矩が城番として入り、その後、城主となる。
元和3年(1617)、亀井政矩は石見・津和野に転封となり、鳥取藩領となる。
貞享2年(1685)、鳥取藩主・池田光仲の二男・仲澄が分知により立藩する(2.5万石、後3万石)。鳥取東館新田藩と呼ばれた。
藩庁は鳥取城下に置かれたが、慶応4年(1868)、鹿野に陣屋を設けて藩庁を移し、鹿野(鹿奴)藩と称した。
歴代城主 志加奴氏 尼子氏 毛利氏 亀井氏 池田氏


                 山頂の天守台跡
礎石と石垣の根石から、入母屋造本瓦葺の三層の天守が建っていたと推定されている。


鹿野城は当初、城山(標高150m、比高90m)の山頂部のみの城であったが、亀井氏が城主のとき、山麓に曲輪を設け、二重の堀で囲む城郭に拡張整備された。石垣の多くは、鳥取城を築く際に持ち去られ、あまり残っていない。幕末の鹿野藩の陣屋の跡は、鹿野中学校の敷地になっている。


外堀 内堀


西の丸
亀井玆矩の隠居御殿があったといわれる
二の丸


<アクセス>
取市鹿野町の市役所支所の前の交差点から、河内川と平行に北西へ250m進んだ交差点に、鹿野城公園への標識がある。この交差点からL形にカーブする道なりに800m進み、さらに道幅が狭くなった市街地に入ると、50mで水堀に突き当たる。ここが鹿野城公園。右手と左手にそれぞれ無料駐車場がある。(2010.11.04)

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