大嶽城

 所 在 地   滋賀県長浜市湖北町伊部  別 名   ―
 遺 構   郭・土塁  形 式   山城(海抜495m)
 築 城 者   浅井亮政  築 城 年   大永4年(1524)
 歴  史  小谷城の当初の本丸は、現在の尾根上でなく、大嶽に置かれていたと考えられている。
小谷山の尾根に天守その他の曲輪が整備された後、大嶽城は小谷城の詰の城として使用されていた。
天正元年(1573)の織田信長による小谷城攻めのときには、大嶽城は朝倉氏の援軍が守っていたが、大嶽の北方の焼尾丸を守備する、浅井氏の家臣・浅見対馬守が織田方に寝返えって攻めたため、大嶽城は8月13日に落城した。
歴 代 城 主 浅井亮政・久政・長政


大嶽(おおづく)は、小谷城の最も高い山王丸から谷筋に下った後、100mほど登ったところにあり、小谷城よりも高所にある。

土塁によって囲まれた大きな方形を主郭とし、その周囲に、土塁で囲まれた郭を連結させている。


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