如意ケ岳城
所 在 地 | 京都市左京区鹿ケ谷大黒谷町 | 別 名 | ― |
遺 構 | 曲輪、土塁、堀 | 形 式 | 山城(標高477m) |
築 城 者 | 多賀高忠 | 築 城 年 | 文明年間 |
歴 史 | 如意ケ岳越えは、京の鹿ケ谷と近江の大津を結ぶルートの一つであり、近江から京へ侵攻するルートの一つでもある。このため、ルート上の如意ケ岳の山上に城が築かれた。 最初、応仁の乱に際して、近江・京極氏の重臣の多賀高忠によって築かれたとされる。 その後も、細川高国、足利義輝などによって城が築かれたが、いずれも恒常的な城ではなく、陣城のようなものであると考えられている。 |
歴 代 城 主 | 不詳 |
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両側手前が堀、その向うが土塁、土塁の端部は食い違いに配置されており、その間に虎口が形成されている。 |
銀閣寺の裏の、大文字山(如意ケ岳)の山頂一帯が城域である。山頂に主郭を置き、この主郭の北側に帯曲輪が10段以上、階段状に設けられている。主郭から東へ尾根沿いに行くと、土塁が築かれ、この土塁を食い違い状に配置して虎口が設けられている。 |
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主郭の北側の階段状の帯曲輪 | 左大文字の火床からの京都市の眺望 |
<アクセス> 銀閣寺の山門前を左へ行き、道なりに進んだ後、右手から山道に入る。約30分で、左大文字の送り火の「大」の字を灯す火床に達する。城跡のある大文字山の山頂は火床を越えてさらに15分。三角点がある。(2009.03.08) |