鯰江城

 所 在 地   滋賀県愛知郡愛東町鯰江  別 名 
 遺 構   土塁  形 式   平城
 築 城 者   鯰江氏  築 城 年   不明
 歴  史  鯰江城は、鯰江氏、森氏によって、自然地形である河岸段丘を利用して築城された中世の城である。
戦国時代になり、六角氏に従う。永禄11年(1568)の、足利義昭を奉じて上洛する織田信長の近江侵入に際して、六角義賢に従って、抵抗する。
その後、「信長公記」の記事に、元亀元年(1570)に信長と対立するようになった浅井長政が鯰江城に兵を入れて、信長の岐阜帰還を阻止したこと(この結果、千草越えをする信長が杉谷善寿坊に鉄砲で狙撃される:巻三)、元亀4年(1573)に鯰江城に籠った六角義治を攻めたこと(この結果、鯰江城を支援したとされる百済寺が信長の焼き討ちを受ける:巻六)、がみられる。
そして、天正元年(1573)9月4日に、柴田勝家の手により、鯰江城は落城し、六角義治は降伏する(「信長公記」巻六)。
落城後、鯰江氏は分散し、各地の大名に仕えた。特に鯰江定春は豊臣秀吉に使えて大阪に土地を与えられ、その地に「鯰江」の地名が残る。
歴 代 城 主 鯰江氏、森氏


郭の遺構は、民家や田畑によって覆われ、土塁の痕跡と石碑の他に、城をうかがわせるものを見出すことは難しい。

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