中村城

所 在 地  高知県四万十市中村丸の内 別 名  為松城
遺 構  曲輪 石垣 土塁 模擬天守 形 式  平山城
築 城 者  為松氏 築 城 年  室町時代
歴 史 中村城は、もとは為松城と呼ばれ、為松氏の居城であった。
戦国時代に土佐国司一条氏が京から土佐に移り住み、その居城とした。
天正3年(1574)、一条氏に家督争いが起こり、土佐で勢力を拡大しつつあった長宗我部氏に実権を奪われ、一条氏は事実上滅亡し、中村城は長宗我部元親のものとなった。天正4年(1575)には元親の弟の長宗我部親康が、さらに元親の四男の盛親が城主となった。
関ヶ原の戦いのあと、土佐に山内一豊が入国すると、弟の山内康豊が中村城主として入った。そして元和年間に一国一城令により、中村城は廃城になった。
歴 代 城 主 為松氏 一条氏 長宗我部氏 山内氏 


発掘調査で現れた石垣 山内氏時代の遺構 


城は、四万十川の河口を見下ろす高台の為松山にある。中村城は、為松山の山上に連格式に展開された東ノ城、為松城、中の森、詰城(本丸、二の丸)、今城の五郭を統合した総称といわれる。


本丸の土塁 二の丸を囲む土塁 圧倒される迫力の高さで良好に残っている


東ノ城の曲輪跡 二の丸に建つ模擬天守 内部は郷土資料館になっている


<アクセス>
四万十市の市街地を南北に走る国道439号線の中村京町二丁目の交差点を西へと折れ、道なりに坂道をカーブしながら進むと、山上に着く。山上に駐車場があり、この駐車場に石垣が保存されて残っている。(2011.05.16)

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