名古屋城
所 在 地 | 愛知県名古屋市中区本丸 | 別 名 | 金鯱城、柳城、亀尾城 |
遺 構 | 櫓、堀、石垣、曲輪、再建天守 | 形 式 | 平城 |
築 城 者 | 徳川家康 | 築 城 年 | 慶長14年(1609) |
歴 史 | 慶長14年(1609)に、関ヶ原合戦後の、大坂方への備えとして、徳川家康により築城が開始され、清洲から遷府する。 慶長17年(1612)、加藤清正、福島正則、前田利光など西国大名による天下普請で、工事が進行し、この年、天守が竣工して、築城はほぼ完成する。 慶長20年(1615)、本丸御殿が完成する。元和3年(1617)、二之丸御殿が完成する。 元和6年(1620)、初代藩主徳川義直(家康の九男)が、二之丸御殿に入る。 昭和20年(1945)、米軍の空襲により、天守、本丸御殿、北東隅櫓などが焼失する。昭和34年(1959)、天守が再建される。 |
歴 代 城 主 | 尾張徳川氏16代(61.9万石) |
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西之丸からみた、本丸 手前・西南隅櫓 奥・大天守 櫓は、西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓が現存している。 西北隅櫓は、清洲城から移築されたと伝わり、清洲櫓ともいう。 |
御三家筆頭尾張徳川家の居城である。名古屋城は、織田氏の那古野城の旧城地に築城されたものであり、本丸を中心に、北西に御深井丸、南西に西之丸、東に二之丸、南から東にかけて三之丸を配する。東西1300m、南北1100mの壮大な規模。天守は国宝に指定されていたが、米軍の焼き討ちによって失われた。 現在、本丸、御深井丸、西之丸、二之丸の一部が、有料の施設として整備されている。 |
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西南隅櫓、未申櫓ともいう(重要文化財) 二重三階の櫓。南面・西面の二階に石落しを張り出し、石落には屋根が設けてある。 |
本丸・表二之門(重要文化財) 本丸追手枡型の外側の門であり、高麗門である。門柱・冠木・扉板、すべて鉄板張りとする。 |
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大天守と小天守。鉄筋コンクリートで外観復元して再建された。層塔型であり、連結式である。 手前は本丸御殿跡の礎石。本丸御殿は、将軍上洛時の宿舎として使用された。 |
本丸・東二之門。(重要文化財) 本丸追手枡型の外側の門であり、高麗門である。元は二ノ丸東二之門であったが、昭和47年に移築された。 |
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東南隅櫓、辰巳櫓ともいう(重要文化財) 西南隅櫓と規模・構造は同じであるが、屋根の破風形状が、異なる。 |
二之丸跡。藩主の生活や政務の場である二之丸御殿、二之丸庭園があった。 |