挙母城
所 在 地 | 愛知県豊田市小坂本町7丁目 | 別 名 | 七州城 童子山城 |
遺 構 | 石垣 復興櫓 曲輪 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 内藤政苗 | 築 城 年 | 明和3年(1766) |
歴 史 | 挙母の地には、中条景長によって延慶年間(1308-11)に築かれた金谷城、三宅康貞によって慶長9年(1604)に築かれた桜城があった。 寛延2年(1749)に内藤政苗が挙母に封じられ、桜城の改修を試みるが、矢作川の氾濫による工事の中止もあり、1.5km離れた童子山に新城を築き、内藤氏2代の学文により天明2年(1782)に完成された。7か国が眺望できたので、7州城とも呼ばれた。 内藤氏が幕末まで在封した。 |
歴 代 城 主 | 内藤氏(2万石) |
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復興された本丸隅櫓 櫓台の石垣は残存するものというが、見るからに新しい。 |
挙母城は、標高56mの童子山に築かれた。石垣を廻らした本丸と二の丸からなる、小規模な城郭である。本丸には御殿の他に二基の櫓が建てられていただけであり、天守は存在せず、堀も未完成であった。江戸時代後半の太平な世に造られた城である。 城跡は公園、学校、美術館の敷地となっており、遺構は少ない。 |
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七州公園の城址石碑 | 牧野敏太郎佐作の「七州絵図」 本丸隅はこの絵図を元にして復元された。 |
<アクセズ> 名鉄三河線の豊田駅から、南西約1km。豊田市美術館の南西角に本丸隅櫓がある。美術館の南にある広い駐車場を利用することができる。 |