小堤城山城

 所 在 地   滋賀県野洲市小堤  別 名   ―
 遺 構   石垣、土塁、堀切  形 式   山城(標高286m)
 築 城 者   永原氏  築 城 年   15〜16世紀
 歴  史  近江国野洲郡は、蒲生郡の馬渕氏の勢力範囲であったが、15〜16世紀にその家臣の永原氏が勢力を張るようになり、六角氏と直接主従関係を結ぶようになる。永原氏は、六角氏の家臣団のなかでも中心的存在であり、本拠は平城の永原城にあった。
小堤城山城は、永原氏により築かれた山城であるとされるが、本城を直接さすとみられる文献資料は乏しい。従って、築城時期、廃城時期は不明。
歴 代 城 主


主郭の西面の石垣


主郭の東北方向上側にある郭の、西面の石垣 主郭の東北方向上側にある郭の、東面の石垣


主郭を東側に下った場所の石垣 矢穴の残る石垣


小堤城山城は、中仙道を見下ろす城山(標高286m)の山頂から、北方向及び北西方向に延びる尾根に小さな曲輪を連ねて築かれている。そして城域の方々で石垣が構築されており、名も知られぬこのような山城で石垣が多用されていることに驚かされる。


現地案内板

山頂の曲輪から、北西、北東、北西へとくねるように、尾根に沿って小さな曲輪群が配置されている。
主郭は、その中間の谷部に設けられており、両側の尾根の上の曲輪が主郭を守るような構造になっている。


<アクセス>
野洲市小堤の国道8号線から、平田工機関西工場の東側沿いの道に入り、道なりに直進すると、ゲートで塞がれた林道の入り口に突き当たる。このゲートが城山への入り口になる。このゲートは人が通り抜ける隙間もなく施錠されており、おまけに無断立入禁止の看板が森林組合の名で張られている。しかしゲートは低いので、構わず乗り越える。ゲートの奥へ進むと、結構整備されており、休憩所などもあって、市民の憩いの場という雰囲気。ゲートで封鎖されていることの意味が不明。しかも城址への案内表示も各所にあって、歓迎しているふうでもあるのに、ゲートで立ち入りを拒んでいることの意味が不明。城域へは、山道を登って到達することができるが、立ち木を伐採したり石垣直下に道を付けるなどして、石垣を見学し易いように工夫がしてあり、また山道も所々整備されているところがあり、城をたずねて来る人の便を考えてくれているようである。だのにゲートで封鎖してあることの意味が不明。ゲートの前に数台の駐車が可能。(2008.05.04)

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