勝連城

所 在 地  沖縄県うるま市勝連南風原 別 名  
遺 構  石垣 曲輪 形 式  山城
築 城 者 英祖王系2世「大成王」五男の勝連按司 築 城 年  12〜13世紀
歴 史 勝連城は、出土品から12〜13世紀に築城されたと考えられている。
伝承によると、英祖王系2世「大成王」の五男が勝連按司として勝連城を築いたとされる。勝連按司は5代まで続いたが、世継ぎがないために伊波按司が迎えられ、続いてさらに浜川按司に交代して2代続き、9代目として茂知附按司の城主になった。
この茂知附(もちづき)按司は悪政を行なったため、15世紀の初頭に阿麻和利(あまわり)に倒され、阿麻和利が勝連城の10代目城主となった。
勝連城は阿麻和利によって最盛期を迎えた。一方、沖縄本島は1429年に尚巴志によって統一されて首里城に琉球王朝が樹立されたが、まだ安定しておらず、阿麻和利は首里城から警戒される存在となっていった。そこで、勝連城から直線距離で約10kmの中城城に、琉球王朝から護佐丸が城主として派遣され、阿麻和利を牽制した。
1458年、阿麻和利は謀略により中城城の護佐丸を倒した。しかし謀略が発覚したため首里城を攻めようとしたが、逆に敗れて滅んだ。
歴 代 城 主 勝連按司 伊波按司 浜川按司 茂知附按司 阿麻和利


四の郭から見た、勝連城跡の全景


勝連城は、独立丘の急斜面を背後にし、緩斜面に沿って築かれている。最高所を一の郭とし、二の郭、三の郭、四の郭、さらに東の郭と連格式に配置されている。
一の郭には瓦葺きの建物やアーチ式の門があり、二の郭には東西14.5m・南北17m規模の殿舎があった。三の郭は儀式などをおこなう広場であったと考えられている。


四の郭の石垣 三の郭


三の郭 奥の段上:二の郭 最奥:一の郭 二の郭の殿舎跡


一の郭の虎口 一の郭


<アクセス>
うるま市の中心部側から県道16号線を、うるま市勝連南風原の南原小学校の前を通過して南下すると、1.2kmで勝連城の観光用の広い駐車場に着く。道路の左側に面して駐車場があり、城跡は道路の右側の奥。駐車場と城跡のいずれも無料。(2011.12.12)

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