福岡城

 所 在 地   福岡県福岡市中央区城内  別 名   舞鶴城
 遺 構   櫓、石垣、堀  形 式   平山城
 築 城 者   黒田長政  築 城 年   慶長6年(1601)
 歴  史  慶長5年(1600)、関ヶ原の戦功により、黒田長政に筑前が与えられる。
慶長6年(1601)、小早川秀秋が築城した名島城を廃し、福崎の地に築城を開始する。
慶長12年(1607)、築城が完成する。
歴 代 城 主 黒田氏12代(52.3万石)


二の丸の多聞櫓(国重文)


本丸や二の丸などの主郭部は石垣造であり、今も石垣群が保存されている。
大濠は、西側の沼沢地に博多湾から水を引き込んで堀としたものであり、広大な幅を有する。
本丸の高石垣
大濠 現地案内板の福岡城絵図


本丸の南端にある天守台は、大天守台、中天守台、小天守台が東西に並ぶ、大規模なものである。

天守台に天守はあげられなかったとされてきたが、慶長7〜8年(1602〜3)に天守の柱立てがおこなわれ、元和6年(1620)頃に天守が取り壊されたという、記録文書が発見され、議論を呼んでいる。
天守台(大天守台)
大天守台への登り口 現地案内板の本丸見取り図


           祈念櫓
本丸の北西に鬼門封じのために建てられた二重櫓。福岡城には47の櫓があった。
          潮見櫓
博多湾を監視し、海上からの攻撃に備えるために、城の西北隅に建てられた櫓。


福岡城は、黒田52万石にふさわしい規模の大城郭であり、東西に本丸、東の丸、二の丸、南二の丸、三の丸の各曲輪が梯郭式に並ぶ。もともと城は名島にあったが、商人の町・博多を監督できる場所として、福崎の地に築城された。黒田氏は備前福岡の出であるために、福岡城と名付けられたという。

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