星ケ崎城

 所 在 地   滋賀県蒲生郡竜王町鏡  別 名   星ケ峰城
 遺 構   石垣、曲輪  形 式   山城(標高222.6m)
 築 城 者   鏡氏  築 城 年   鎌倉時代
 歴  史  築城者は、竜王町鏡の土豪、鏡氏とされるが、定かではない。伝承によると、鎌倉時代、鏡久綱の居城であったが、承久3年(1221)の承久の変に破れ、鏡氏は滅亡する。その後、馬渕氏、六角氏が城主となる。
永禄9年(1566)に起きた観音寺騒動の際に、反旗を翻した家臣の永原氏が永原城に立て籠もったのに対して、六角承禎が星ケ崎城に入って対峙したという記録がある。
歴 代 城 主 鏡氏、馬渕氏、六角氏


主郭の西側に築かれた石垣。高さ約2mに、5段程度に石を積み上げて構築されている。割り石を用いて、平らな面を表に出し、間詰石もあり、打ち込みハギといってもおかしくない。


星ケ崎城は、鏡山から北に延びる尾根上にあり、蒲生郡と野洲郡の郡境に位置する。北側の山麓には中仙道が通っており、中仙道を牽制する絶好の地点といえる。


山頂の主郭に建てられている城址碑。主郭は20m×30m程度の規模。 城域の南側端部に、部分的に残る石垣。石垣は多用されているが、その他の堀切や竪堀などの防御施設はみられない。


<アクセス>
星ケ崎城へは、野洲市大篠原出町の集落からと、竜王町鏡の道の駅からと、登山路が通じており、それぞれ約20分の山歩きで到達する。山道に慣れていないと、道を見失うかもしれない。また野洲市大篠原出町からの登山路の入り口は、なぜかフェンスで閉鎖されており、フェンスを乗り越える勇気が必要。(2008.04.29)

日本の城目次へ戻る
前の頁に戻る                次の頁に進む