大聖寺城

 所 在 地   石川県加賀市大聖寺錦町  別 名    --
 遺 構   曲輪土塁  形 式   平山城
 築 城 者   溝口秀勝  築 城 年   天正11年(1583)頃
 歴 史  錦城山の山頂には、南北朝以降、一向一揆などで重要な軍事拠点が築城されていた。
織田信長が加賀を支配した以降は、戸次広正、拝郷家嘉が城主として置かれた。
天正11年(1583)、加賀を支配していた柴田勝家が羽柴秀吉に敗れた後、秀吉配下の溝口秀勝が大聖寺領主となって、4.4万石で入封する。この頃、現在の曲輪配置に修築されたと考えられている。
慶長3年(1598)、溝口秀勝は、越前新発田に転封し、山口玄蕃頭宗長が7万石で入封する。
慶長5年(1600)、山口宗長は関ヶ原の合戦で西軍に属し、東軍についた前田利長に攻められ、落城する。以後、大聖寺城に城代が置かれるが、元和の一国一城令で廃城となる。
寛永16年(1639)、加賀蕃三代藩主前田利常の三男、利治が7万石を分封され、大聖寺蕃を立蕃をする。錦城山の山麓に居館を建て、山上には築城せず、「お留め山」として入山禁止にする。
歴 代 城 主 戸次広正、拝郷家嘉溝口秀勝(4.4万石)山口宗長(7万石)、前田氏(7万石→10万石)


本丸跡

東丸跡

鐘ケ丸跡

標高67mの錦城山に造営された平山城。城山一帯に、本丸、西の丸、東の丸、鐘ケ丸、三の丸などが広がる。城域は、城山公園として整備されている。


<アクセス>
北陸自動車道の加賀ICの北東約2kmの錦城山公園に城跡がある。錦城山公園の西側に駐車場がある。(2007.05.12)

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