仏殿城

 所 在 地  愛媛県四国中央市川之江町 別 名  川之江城
遺 構  石垣、曲輪、模擬天守、模擬櫓、模擬櫓門 形 式  平山城
 築 城 者  土井義昌  築 城 年  延元2年(1337)
歴 史 仏殿城は、南北朝の際、南朝方の河野通政治の家臣の土井義昌によって、延元2年(1337)に築城された。
興国3年(1342)に、北朝方の細川頼春に攻められて落城している。その後、仏殿城は細川氏から河野氏に返還され、天正の初め頃には、川上安勝が城主となっている。
天正10年(1582)、四国制覇に乗り出した長宗我部元親によって攻められて落城し、川上安勝は自害した。
天正13年(1585)、羽柴秀吉の四国攻めで、仏殿城は小早川隆景により攻略された。仏殿城には吉川元長が城主として入り、天正14年(1586)には福島正則の持ち城になる。
さらに文禄4年(1596)に池田景雄、慶長3年(1598)に小川祐忠、慶長5年(1600)に加藤嘉明と城主が入れ替わり、慶長7年(1602)に廃城になった。
歴 代 城 主 土井氏、細川氏、河野氏、川上氏、吉川氏、福島氏、池田氏、小川氏、加藤氏


本丸に建つ模擬の三層天守。内部は資料館となっている。


仏殿城は、現在は川之江城といわれている。瀬戸内海に面する城山(鷲尾山)に設けられた平山城である。
現在、山頂の本丸と二の丸が城山公園として整備されている。本丸に天守と櫓門と櫓が、二の丸に隅櫓が、それぞれ再建されている。いずれも史実に基づかない模擬再建である。
天守台の下側に残る石垣と、本丸の南西隅の石垣が、織豊期の遺構として残る。


天守台石垣の下の石垣は、織豊期の古い石垣といわれている。 本丸の南西隅の、石垣。これも織豊期の石垣。


本丸の北側の虎口である、櫓門。模擬再建されたものである。 二の丸に模擬再建された隅櫓である、涼櫓。


<アクセス>
国道11号線の港通交差点を東へ折れると、城山公園の入り口の案内板がある。案内板に従って、坂道を上っていくと、山上の駐車場に着く。道が狭いので、対向車に注意。城跡はこの駐車場からすぐ。(2011.05.15)


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