青地城
所 在 地 | 滋賀県草津市青地町 | 別 名 | 部田城 |
遺 構 | 堀、土塁、堀切 | 形 式 | 平城 |
築 城 者 | 青地忠綱 | 築 城 年 | 鎌倉時代初期 |
歴 史 | 近江守護職佐々木貞綱の五男・馬渕定広の四男・基綱が養子となって、青地定兼のあとを継ぎ、その子・忠綱によって、鎌倉初期に築城されたと伝わる。忠綱は、近江佐々木源氏七騎の一人。応仁の乱以降の築城という説もある。 室町時代、青地氏は足利氏に属する。 戦国時代、青地氏は、佐々木六角氏に属する。 天正元年(1573)に六角氏が織田信長に滅ぼされると、当主青地高直は、青地城を去り、以後廃城となる。 |
歴 代 城 主 | 青地氏12代 |
現在、跡地は、志津神社、青地小学校になっており、青地小学校の前の池が堀跡といわれている。土塁や空堀、堀切もみられる。 | ||
![]() |
![]() |
|
土塁の跡 | 土塁の跡 | |
![]() |
![]() |
|
空堀の跡 | 水堀の跡とされる池 |