丸岡城
所 在 地 | 滋賀県湖南市柑子袋 | 別 名 | ― |
遺 構 | 空堀、土塁、虎口 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 青木頼忠 | 築 城 年 | 建久年間(1190-1198) |
歴 史 | 丸岡城は、源頼朝に従って軍功を挙げた青木頼忠が、文治元年(1185)に当地の地頭に任じられ、建久年間(1190-1198)に築城したのが、始まりとされる。青木氏は、甲賀五十三家の一つである。 戦国期に入り、青木氏は佐々木六角氏に従っていたが、元亀年間(1570-1573)の織田信長の近江侵攻の際に、織田方に降った。 天正13年(1585)に、青木氏は羽柴秀吉により領地を没収された。丸岡城はこのときに廃棄されたと考えられる。 |
歴 代 城 主 | 青木氏 |
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土橋の上から見た土塁と、土塁間の空堀 | 東側の虎口跡 |
湖南市柑子袋の集落を通り抜けた山麓に、城跡がある。土塁と、空堀(横堀)が明瞭に残されている。 城域は方形の曲輪が複合された複雑な構造になっている。特に、南側は空堀が土塁の間に形成されており、土塁間を繋ぐ土橋もみられる。 南側の墓地を挟んで、約50mの位置に、出城の東丸岡城が築かれている。 |