明知陣屋
所 在 地 | 岐阜県恵那市明智町 | 別 名 | − |
遺 構 | 堀 | 形 式 | 陣屋 |
築 城 者 | 遠山方景 | 築 城 年 | 元和元年(1615) |
歴 史 | 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いのあと、明知城主・遠山利景は6千7百石が与えられ、旗本となる。 二代目・遠山方景に江戸邸が与えられ、元和元年(1615)の一国一城令により明知城は廃城となる。代わりに、城山下の大手門近くに陣屋を構える。 遠山の金さんこと遠山金四郎景元は、分家の六代目である。 陣屋跡は、畑や宅地となっているが、堀の一部が残る他、代官の屋敷跡、土蔵が残存している。 |
歴 代 城 主 | 遠山氏 |
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数少ない遺構の一つの水堀。 | |
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陣屋には代官屋敷があるだけ。 遠山家の当主は江戸常府であったようだ。 |
<アクセス> 明知鉄道・明知駅から歩いて10分ほど。大正村の大正ロマン館のすぐ北側。駐車場はない。(2009.06.03) |