海越ゆる歌舞〜雅楽海外公演回想録エッセー〜

ヨーロッパの風 1990秋

 ドイツ(未完)

 

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チロルを越えて(未完)

バスでチロルを越える。イタリアからドイツまで長いバスの移動。途中立ち寄ったバールでエスプレッソを飲む。

 

やぶれる車

当時東ドイツにはトラバンドというダンボールを原料にした紙の車があった。黄緑やくすんだ空色のそのかわいらしい車たちは、一見普通の車と変わらない。ところが、それが紙であることをまのあたりにさせられた。大きな交差点で事故直後の場面に遭遇した。なんと、事故車は壊れているというよりも、まぎれもなく、やぶれていたのである。

ドラゴンフルート

雅楽は日本でも一般の方にあまり馴染み深いものではない。ましてや海外においてはまだまだ知られていなかった。楽器の形状も未知のものが多い。私は 横笛を専門としているので、この公演でも龍笛と高麗笛という横笛を持ち歩いていた。楽器だけはトランクに入れるわけには いかない。震動のことを考えると常に横にして持ち歩かないといけないのだ。そして、その横笛のケースは木で出来た長細い筒である。
空港の検問は、厳しい国と緩やかな国がある。ドイツは比較的厳しい国だった。荷物のチェックで呼び止められた。非常に険しい顔をしてエックス線映像を指差している人と、びっくりするほど大柄の腕っ節のきくといった感じの女性の検問官が仁王立ちして 、かばんを開けろというしぐさをしている。エックス線映像には長い筒がうつっていた。筒をかばんから取り出したが、すごく厳しい口調でまだ、なにかを言っている。短剣が入っていると思ったのだろうか。もし、これが刀だったとすると確かにすごい凶器だ。筒をそっとあけて中からするりと龍笛を取り出した。赤黒く鈍く光る穴の開いたこの筒をなんと説明しようか。「私は音楽をやっているところの日本人です」なんていう英語で話してみたがもうひとつ、通じていない。そこで、「ジャパニーズ ドラゴン フルート!」 勝手に作ったあまりに乱暴な訳語。しかし、これは通じたらしい。険しかった検問の方の顔がとても穏やかに変わり、すごく丁重に謝ってくださった。とくに腕っ節の立つ?女性の検問の方の顔は別人のようにやさしい顔に変わった。疑われても無理はない。未知の音楽、雅楽。今回の公演の意味を改めて感じることが出来た。

検問の後

検問の最中に団員はさっさと先にいってしまい。迷子になってしまった。海外での迷子ほど心細いものはない。予定はどんどん変更されていたので、次に向かう公演場所すら まったくわからない。とにかく、人に聞こう。しかし、異国の人々ばかり、わらにもすがるような思いで、やさしそうな女性に声をかけた。あせっていたので何を聞いたかもわからない。伝えることが出来たのは私が日本人であるということと、迷子になったということ、理解できたことは、相手がフランス人であるということだけだった。その方はとても親切に一緒にどうしたらよいか悩んでくれた。もうだめだと思って頭を抱え込んだとき、視界の中に見覚えのある顔が、そのとなりにも、そのとなりにも、なんと(しゃれではない)南都 の楽人ご一行様が空港の椅子におすわりあそばして、全員こちらを見ているではないか。しかもすぐ近くで。どうやら、やっている一部始終を見ていたようである。「どうして声をかけてくれないのか」というと「信雪君は、積極的に外国の方ともコミュニケーションを取っているんだなあと感心していた」というのである。「・・・・・・・」その方にお礼を言って別れた。ほんとうにはずかしい体験だった。




ベルリンの冷気(以下工事中)

半そででも暑かったイタリアのポンペイとはうって変わって、ドイツは冬のようであった。現地の人をまねて、コートの襟を立てて町を歩く。
 

統一のドイツ(予定)



国境警備隊(予定)

 

*ミュンヘン公演  コングレスハレー国際会議場(ドイツ)
*ベルリン公演   日本大使館公演(ドイツ)