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Individual

年齢を重ね父のさりげない凄さを回想 社会人となり人生の大半を業務と家庭に時間を費やし、経験と糧を得て人格の一部が構築され研磨していく過程を外部とリンクすることで自他共にコミュニティーを拡大することが可能である。
6・3・3の教育を享受し専門課程をたどる人,自らが選んだ職場において基礎を切磋琢磨の競争社会で真の実力を体得する過程で技術を察知していく人様々である。
故郷を偲ぶと父のことに思考回路が開くこの頃である。
偶然会得した技術の中で父が暇を見つけて作った簡易床机が最近知りえた技術的見地にたって検証すると理にかなって作製されたことに気づいた。
眼鏡橋を想像すると橋脚部分が厚く橋脚間は薄く作ってある。
父の床机は短部が薄く中間部が厚く作ってあったことを思い出した。
上記2タイプは異なるが支点と力点を考慮し回転か固定かでアーチ形の断面が滑らかに描かれ合理的且つ美しいと最近認識出来たしだいである。
父は、何人床机に座るからこの断面が必要と正確に作ってはいないと推測するが理屈に合った形状を作りこんでいたことは確かである。
たかが床机であるがモーメント梁を最近知り得た私には新鮮であり父が何処までそういった技術的センスを
持っていたかは今となっては知るすべも無い。
知る人ぞ知るとはこのことからも、異なる形容かもしれないが私がその形状を理解できる能力を会得したことで父のさりげなさと凄さを認識できたのである。
先人の心と意図をはかるには同等の環境と努力なくして語れないと思うことも少なくないこの頃である。