マンション再建の歩みと未来に向けて


 芦屋ハイタウンは、1982年(昭和57年)に藤和不動産株式会社が「藤和芦屋ハイタウン」として214戸を販売しました。
 ところが、1995年(平成7年)1月17日発生の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)で居住不能という甚大な被害を受け、芦屋市の応急危険度判定で「要注意」、「全壊」の罹災証明を受けました。
 そこで、管理組合理事会は、再建委員会を設置すると共に、建築学会等による被害調査の実施、建替え・復旧に関する各種の検討を行った後、1997年(平成9年)2月23日建替えを決議しました。
 その後、再建組合を設立し、事業代行者である兵庫県住宅供給公社、コンサルタント、設計事務所、施工会社そして弁護士及び司法書士事務所等の絶大な協力を得て、1999年(平成11年)11月13日、震災以来4年10ヵ月振りに、建物が「芦屋ハイタウン」として新生、再建されました。
 一方、1997年(平成9年)10月31日、建替え決議否認の12戸が「建替え決議無効」を神戸地裁に提起し、住民同士が争わなければならない不幸にみまわれました。
 1998年(平成10年)1月23日に第1回公判が始まり、その後16回の公判を経て、2001年(平成13年)6月11日、長期化する係争のなか、裁判官より示された和解の道を苦渋のうちに選択し、以後3回の和解交渉を積み重ねて2001年(平成13年)10月25日和解が成立しました。
 この和解は勝訴和解と判断できるものでしたが、ここに至るまでの区分所有者全員の強固な結束によって、震災後6年9カ月の時間を費やしながらも、ついに名実共に「芦屋ハイタウン」の再建が果たされたのです。

 震災から再建に至るまでの歩みは次の通りです。

芦屋ハイタウンの再建の歩み

(1)建物の被害状況

(2)再建の方針

(3)再建事業推進体制

(4)再建の歩み


芦屋ハイタウンの未来に向けて

 私たちは、あの阪神・淡路大震災によりかけがえのない多くのものを失いました。また、再建にいたる約7年間は、枚挙にいとまがないほどの苦しい日々を過ごしました。
 しかし、住民の皆さんの「もう一度この地に戻り、手を携えて暮らしていきたい」という強い思いが、数々の苦しみに耐える力を生み、再建を果たす大きな力となりました。
 さらに、その苦しみの中で多くのことを学び、多くの人々の善意にふれ、多くの人々の暖かい支援を受けることができました。
 私たちは、この震災で学んだ多くのことを教訓として、また多くの人々の善意や暖かい支援に報いるためにも、新生芦屋ハイタウンを住民全体で協力し創り上げる努力を重ねています。
 そのために、まず、よりよい住環境を創り上げるための礎となる管理組合の規約並びに建物の長期修繕計画、さらにハイタウンの住民や地域の住民の皆さんとの親睦や意志疎通を図っていくために自治会の規約などを自らの手で作成しました。
 また、住民相互の交流をいっそう深めるために集会室を利用した趣味の場、敷地西側の共同菜園を利用した園芸や野菜作りの場、隔月に行う周辺掃除とその後のお茶会での懇親の場など、さまざまな場づくりを推し進めています。
 さらに、それぞれの場の運営や指導のために、多くの方々がボランティアとして参加され、住民間のコミュニケーションを深める努力を続けています。
 今後は、よりよき未来の創造に向けて、IT技術なども活用し、さらなるコミュニケーションの醸成を図ると共に、新たに入居された住民の方々を含めた全ての住民が、管理組合や自治会の活動、また趣味の会などの活動に参加され、それぞれができることを少しずつ行っていくことにより、素晴らしい共生の場を創り上げたいと考えています。

ホーム トップページへ