四国八十八ケ所遍路旅

行程 日付 天候 札所 歩行距離 累計
8日目 3月19日 曇りのち晴れ
42.4Km 231.7Km


「雨降って 次に晴れ間の 遍路道」


■行程
「みなみ旅館」6:35→9:55明徳寺10:25→11:45法海上人堂12:00→12:55仏海庵13:05→15:05夫婦岩15:10→16:50三津「バス停」

◆「みなみ旅館」6:35
他のお三方の旅立ちは早い。下に降りると手ぬぐい、お握り2個、蜜柑2個のお接待を受けて見送られる。今日は天候が回復して最高気温も11度まで上がるとのことだ。海岸線に沿って国道55号線を歩くと、次第に明るさが増し、雲間から差し込む朝日に那佐湾の海面が輝く。宍喰町に入って長さ638mの水底トンネルを抜けると、阿波の国・徳島を離れて土佐の国・高知県に入った。甲浦港を抜けて生見の海岸を過ぎ、野根の集落に入ると番外札所の明徳寺・東洋大師があり、道路に分断されたような形で赤い橋が架かっていた。


明徳寺9:55・10:25
納経の後、お堂の右手にある通夜堂を覗いてみると、清潔で居心地良さそうだった。犬が南無大師遍照金剛の上着を着て床机に座っているのがほほえましい。お堂の前にお接待の飲み物がおいてあったので、コーヒーなどいただいているうちに、つい長居してしまった。すっかり晴れ間が広がり、爽やかな風を受けながら野根大橋を渡って海岸線を気持ちよく歩く。野根から先は集落もなく、遠く室戸岬見ながら国道を20分程歩くと右手に法海上人堂があった。

法海上人堂11:45・12:00
このお堂はその昔、法海上人という廻国行者がこの地で盗みの疑いをかけられ、「無実の証しに亭に入る」と言って裏山に穴を掘り、生きながら墓に入って即身仏となった地で、お堂にはそのお墓が納められているそうだ。お遍路さんが2人休んでおられたので、挨拶してお参りする。道も、お堂も、トイレも、水場も全体的に荒れた感じであった。お握りを1つ食べてから、再び海岸線を一時間程歩くと仏海庵に着いた。

仏海庵12:55・13:05
お堂に入って納経を終えると、お墓の掃除をしていた女性がこられて、お堂の裏にある宝筐印塔についてあれこれ説明いただいた。解説板には、僧仏海は伊予国風早郡猿川村、現北条市の生まれで少年の頃出家し高野山で修行し、全国の霊場を廻り菜食に水を飲む木食僧仏海として各地で地蔵像を彫り、その数三千体に達したといわれる。明和六年(1769)この地で没した。庵には、仏海が建立した宝筐印塔一基があり中に僧の石像が納められている。また附近に四体の地蔵が残っている、とあった。

佐喜浜町に入ると左手に太平洋、右手に町並みを見ながら、防波堤のコンクリート道を歩く。午前中はそれほどでもないが、午後からは足裏がジンジンしてくるので、休憩のたびにマッサージを繰り返している。佐喜浜を過ぎ尾崎の集落を抜けると、やがて鋭く切り立った岩山が2つ見えてきた。

夫婦岩15:05・15:10
伊勢神宮の夫婦岩には太い注連縄が掛っているが、こちらはロープに注連縄もどきが掛けられていた。今日は三津のバス停で一夜を明かすつもりだが、先客がいればどこかでツェルトを張るつもりだ。椎名の集落に郵便局あったで現金を引き出す。三津の集落に入ると、三津漁港では大きな魚(ブリ?)の出荷作業が行われていたので写真を撮らせてもらう。旧道沿いのお店で食料とビールを仕入れ、バス停は?と聞くと30m程先だといわれ、車道に出ると幸いバス停には誰もいなかった。

16:50三津「バス停」
この辺りのバス停は扉(ロック付き)がついているので、野宿にはうってつけである。前の家に、今晩バス停に泊まらせていただきますと挨拶に行くと「ご苦労様です。(歩き遍路)頑張って下さい」と言われた。コンクリートの上にマットを敷こうかとも思ったが、腰掛が幅広で長さも2m以上あったので、その上にマットを敷いて寝る。今日は遍路八日目で始めて歩行距離が40Kmを超えた。


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