■行程
「門先屋」6:30→6:30「72番:曼荼羅寺」6:40→6:45「73番:出釈迦寺」7:00→7:27奥の院(捨身ケ嶽禅定・捨身ケ嶽往復)8:05→8:30門先屋8:35→9:05「74番:甲山寺」9:20→9:45「75番:善通寺」10:25→11:10「76番:金倉寺」11:25→12:15「77番:道隆寺」12:35→13:30丸亀城14:10→15:25「78番:郷照寺」15:40→15:45善根宿「うたんぐら」
◆「門先屋」6:30
昨日とは打って変わって今朝は快晴、玄関にザックを置かせてもらって空身で72番札所「曼陀羅時(まんだらじ)」と73番札所「出釈迦寺(しゅっしゃかじ)」を回る・・・と言っても、曼陀羅寺は旅館の隣にある。
「72番:曼荼羅寺」6:30・6:40
山門をくぐって小橋を渡ると正面に本堂、手前左手に鐘楼とその奥に大師堂があった。境内は昨日の雨で桜が絨毯の如くに散り積もっていて綺麗だ。誰も居ない境内で納経して出釈迦寺に向かう・・・と言っても、こちらも300mしか離れていない。行く手には端正な三角形をした我拝師山(がはいしやま:481m)が聳え、稜線の鞍部には曼陀羅寺奥の院の建物が見える。
「73番:出釈迦寺」6:45・7:00
本堂、大師堂が並ぶ境内はさほど広くない。納経後、裏門からアスファルト道を上って1.8km先の奥の院に向かう。車道との合流地点にはゲートがあり、そこから急なコンクリート坂を上っていく。
奥の院(捨身ケ嶽禅定・捨身ケ嶽往復)7:27・8:05
標高は370mほどで、山門からは瀬戸内海の島々が見渡せる。鐘楼で一撞きしてから納経し、本殿右手の通路を抜けて我拝師山に向かう。鎖場から取付いて岩場を登って行くと、途中に「捨身ヶ嶽禅定」があった。ここは大師七歳の時に我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じた場所とされ、その時、釈迦如来と天女が現れて大師を受け止めたという伝説の地である。さらに登って我 拝師山(480.9m)の三角点に挨拶してから同じ道を戻る。
門先屋8:30・8:35
旅館で売られている「キーウイジュース」を飲んでからザックを担いで出発する。田園の中を進み、県道48号線を横断して、再び田んぼ道を進むと弘田川にぶつかり、右に行くと74番札所「甲山寺(こうやまじ)」に着いた。
「74番:甲山寺」9:05・9:20
背後にある山は甲山で、前を弘田川が流れる。山門を入って正面の石段をあがると本堂があり、左の石段をあがると鐘楼、大師堂がある。納経をすませたあとは、いよいよ75番札所「善通寺(ぜんつうじ)」に向かう。善通寺市の街中に入り、仙遊寺の前を通って門前町の風情を残す通りを南に進むと、左右に山門の見える場所に出た。
「75番:善通寺」9:45・10:25
いうまでもなく、善通寺は弘法大師生誕の地で、宝亀5年(774)6月15日に現在の御影堂のある所でお生まれになったとされている。
善通寺の広い境内は四国一を誇る。歩いてきた道を挟んで「西院」と「東院」に分かれているのだが、どちらを先に行ってよいのか分からなかったので、とりあえず右(西院)に進む。仁王門をくぐって回廊を進むと立派な御影堂に導かれ、納経後、御影堂の地下の戒壇めぐりと宝物館を見学する。戒壇めぐりは周囲100mの暗闇の中を手探りで歩くのだが、以前に長野の善通寺の戒壇めぐりを体験していたので、その時ほどのドキドキ感はなかった。
東院に向う参道には多くの露店が並んでいて縁日のような賑わいを見せていた。中門をくぐって広い境内に入ると立派な五重塔が目に付く。左手の金堂で納経し、五重塔を見学してから右手の南大門をくぐって境内を出た。
商店街を東に進んでJR予讃線をくぐり、方向を北に変えて高松自動車道を越え、真っ直ぐ進むと76番札所「金倉寺(こんぞうじ)」に着いた。
「76番:金倉寺」11:10・11:25
下馬石を覆うような桜が美しく、その奥の仁王門はまだ新らしそうだった。金倉寺は大師の甥・円珍(知証大師)誕生の地で、円珍の祖父、和気道善(わけのみちよし)が建立した寺とある。ちなみに、次の77番札所は和気道善の弟・道隆の建立によるものだそうだ。本堂前には大きな数珠が滑車に取り付けられていて、綱を縦に引くように回すと、数珠の落ちる音がカチカチと心地よく響く。納経後、田んぼ道を北に進んで広い車道を歩くとT字路に突き当たった。左は多度津駅で、右に進んで77番札所「道隆寺(どうりゅうじ)」の裏門(北門)から境内に入った。
「77番:道隆寺」12:15・12:35
本堂の前に回ると境内は意外に広く、本堂から仁王門に続く参道脇には多宝塔、大師堂、鐘楼が並ぶ。お堂の縁側を借りてパンを食べていたら、たくさんの鳩が恐れ気もなく足元にやって来た。
ここから善根宿「うたんぐら」に電話して、宿泊の了解を得られたので、丸亀城に立ち寄ることにする。車道を東に進んで金倉川を渡り、丸亀市外に入って丸亀駅前から南に進むと丸亀城の堀端に出た。白壁と満開の桜に囲われた堀端から直線的な石垣が何段にも重なり、その上に建つ三層の天守閣が青空に映えて美しい。高校時代に毎日姫路城の中を通って通学していた私から見ても、この石垣の美しさ見事という他ない。
丸亀城13:30・14:10
大手門を入ると坂の登り口に観光施設があり、おばあさんに頼んで荷物を置かせてもらった。直線的に見えた石垣も、近くで見上げると美しい曲線美を描いている。急な坂を登って本丸に上がり、天守閣に登って瀬戸内海から丸亀市街の360度の展望を満喫する。施設に戻ると、おばあさんは観光客向けに団扇作りを実演しておられた。ザックを預かっていただいたお礼をいい、少しお話させていただいてから丸亀城を後にする。市街地に戻り、蓬莱橋を渡って県道を進む。コンビニで今晩の弁当とお酒を仕入れ、道路を渡って細い道を辿ると、78番札所「郷照寺(ごうしょうじ)」の山門があった。
「78番:郷照寺」15:25・15:40
山門をくぐると左手の参道奥に本堂があり、本堂横の石段を上がったところに大師堂がある。納経を終えて本堂近くの地下洞に入ると、中には1万を越すといわれる小さな観音像 がずらりと並んでいた。古い町並みが残る道を300mほど進むと、しゃれた格子の玄関に、しゃれたデザインで「うたんぐら」の名があった。
善根宿「うたんぐら」15:45
玄関を入るとご主人が出てこられ、挨拶のあと居間に通され、コタツに入って休んでくださいといわれたので驚いた。これまでの善根宿のイメージから、別棟のプレハブ小屋のような所に案内されるのかと思っていたのだ。
この善根宿はご主人の定年を期に、空き家だったこの家を借りて二年前から始められたとのことで、お話を伺っているうちに、ご夫婦のコンセプトが、単に宿を提供するだけでなく、人間交流を基本に運営されておられることが感じられた。朝食付き1000円でこのような快適な場を提供いただけるのは、現代的な善根宿のあり方として十分意義があるように思えた。名前の「うたんぐら」は16世紀の大航海時代にスペイン王室が作成した「日本諸島図」に表記されている讃岐(Sanuqui)や、同時期のイエズス会巡察使が作成した日本図に讃岐で唯一の寄港地として記載されている「VTANGRA」から名図けられたようだ。
お茶をいただきながらご主人と話をしているうちに、もう一人来られ、何泊かしている若者が帰って来て、最後にもう一人来られて四人になった。私が最初に着いたということで、先に風呂に入らせていただき、居間でビールを飲みながら弁当を食べ、コーヒーをご馳走になりながら、ご夫妻と北海道、愛知、広島、京都の4人で21時まであれこれ話をして、別棟に設けられた寝所に移動した。
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