四国八十八ケ所遍路旅

行程 日付 天候 札所 歩行距離 累計
25日目 4月5日 晴れ 46番~51番 32.0Km 809.0Km


「石手寺や 闇に猫鳴き 身が縮む」


■行程
民宿「和佐路」6:35→三坂峠9:40→網掛石10:38→11:20「46番:浄瑠璃寺」11:40→11:52「47番:八坂寺」12:05→12:40礼始大師堂12:45→13:10「48番:西林寺」13:30→14:15「49番:浄土寺」14:35→14:55「50番:繁多寺」15:15→16:00「51番:石手寺」16:20→16:21石手寺・通夜堂

◆民宿「和佐路」6:35
風が冷たいが天気は快晴、さあ今日も頑張るぞ!と勇んで出発したまでは良かったが、住吉神社から来た道を戻っているつもりが、村中から車道に上るポイントを行き過ぎてしまい、往復20分のロス。初っ端からの大ボケに軽かった荷がグッと重くなった気がする。地図読みも、心の修業もまだまだ未熟なようだ。

全長624mの峠御堂トンネルは歩道がなく、50cm幅の白線をはみ出しながら歩く。久万公園を左手に見て、旧街道を北に進で33号線に合流する(7:55)。久万町の標高は490mで、ここから標高700mの三坂峠までは延々と歩道歩きが続く。途中、松山自動車道との分岐から右手に遍路道が分かれていたので、これ幸いと辿っていったが、山道を少し登ると直ぐに下って国道に戻ってしまった。再び坂道を登っていくと、峠の手前から右に遍路道が分かれていた。

三坂峠9:40
ここから、標高85mの46番札所に向かって一気に600m以上を下る。この道は旧土佐街道ということだが、昔の山越えの厳しいが想像できる。樹林の中を40分程下ると人里に出て、谷間に田んぼが広がる曲がりくねった道を緩やかに下って行くと、お堂の横に網掛石があった。

網掛石10:38
岩には網の目の模様が刻まれていて、大師が通行の妨げとなっていた三坂峠の大岩を網に入れて担いでいたら、担い棒が折れて石が飛んでいった・・・との伝説が残る。さらに集落の中を緩やかに下って、川沿いの土手道を歩き、出口橋を渡って少し行くと46番札所「浄瑠璃寺(じょうるりじ)」に着いた。

「46番:浄瑠璃寺」11:20・11:40
寺に山門はなく、石段を上がって境内に入るとすぐ右に鐘楼があり、正面に本堂、右手に大師堂が並ぶ。この辺りは遍路の元祖といわれる衛門三郎の屋敷があったとされる地で、境内には、正岡子規の「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」の句碑が 建っている。ここからは松山の中心街に向かってテンポよく札所が続き、次の47番札所「八坂寺(やさかじ)」へは1Km足らずである。

「47番:八坂寺」11:52・12:05
朱塗りの欄干がアクセントの、小さな石橋を覆うように山門が建てられている。境内に入って石段を上ると正面にコンクリート製の新しい本堂が建ち、その左手に大師堂があった。納経を済ませて野道を進むと、文殊院徳盛寺(12:16)、礼始大師堂(12:40・12:45)と続き、それぞれに納経する。河川敷のゴルフ場を見ながら久谷大橋を渡り、松山自動車道を越えると、田園の中に建つ48番札所「西林寺(さいりんじ)」は近い。 

「48番:西林寺」13:10・13:30
立派な仁王門の前には車道をへだてて石造りの西林寺橋が架かる。境内に入ると正面に本堂、右手に大師堂、その横に閻魔(えんま)堂が並ぶ。大師堂は新しく建て替えられたようだ。納経を終えてザックの所に行くと、ベンチに座っていたおじいさんから「本堂の裏に回ってお参りされましたか・・・」と問われ、「いえ」と答えると、「この寺の本尊は秘仏なので見ることはできないが、後ろ向きに置かれているので裏側からお参りするといいですよ」といわれ、「それじゃ」ともう一度お参りに行く。昼食は途中のスーパーでパンを買って食べる。市内に近づくにつれて信号待ちが多くなってきた。伊予鉄道の踏み切りを渡ると、すぐ向こうに49番札所「浄土寺(じょうどじ)」が見えてきた。

「49番:浄土寺」14:15・14:35
これまで様々な仁王像をみてきたが、この寺の仁王像の阿吽の表情は際立っているように思えた。仁王門をくぐると右手に鐘楼があり、石段を上がると正面に本堂、右に大師堂が建っている。この本堂は単層寄せ棟創りというらしく、堂内の厨子とともに国の重要文化財 に指定されているそうだ。

次の50番札所「繁多寺(はんたじ)」までは1.7Kmで、幹線道路から遍路道に入って墓地を通り抜け、住宅地から坂道を上がって行くと池の畔に出て、右手に山門があった。

「50番:繁多寺」14:55・15:15
山門は単層ながらどっしりとした構えで、ザックを置いて境内に入ると満開の桜が迎えてくれた。参道正面に本堂、右手に大師堂、左手に阿弥陀堂、観音堂が並ぶ。納経を終えて山門に戻ると、脇で三脚にカメラを構えていたお爺さんに「どちらからですか」と声を掛けられ、「お接待です」といって缶コーヒーをいただいて、しばらく立ち話する。
この寺の桜は数種類あって、毎年一周間程度ずれて咲くのだが、今年は開花が一週間ほど遅れたせいか八重桜以外は一斉に咲いたそうだ。寺を出て坂道を下り始めると北方に松山市街が広がり、小高い丘の上に松山城が見えた。坂を下って幹線道路を真っ直ぐ進み、石手川に掛る遍路橋を渡ると、正面に51番札所「石手寺(いしてじ)」が見えてきた。

「51番:石手寺」16:00・16:20
小さな石橋を渡ると両側に土産物屋が軒を並べる。これまでこんな繁華なお寺を見たことがなかったので、ついキョロキョロしてしまう。参道を進むと堂々たる山門があり、両脇の仁王像は運慶作といわれ、国宝の指定を受けているそうだ。山門をくぐると右手に美しい三重塔がそびえ、その横に鐘楼が建っていて、正面の一段高い所に本堂と大師堂が並んでいる。
納経を終え、本堂の左手にあるマントラと呼ばれる胎内洞窟に入ってみた。薄暗い人工の洞窟を50m程歩くと境内の裏側に抜けたので引き返す。納経所で通夜堂に泊めてほしいと頼むと、案内係りの人が来て、古い木造の大きな建物に案内された。ガタピシとドアを開け、ギシギシと音のする階段を上ると大広間があり、ここで寝てくださいといわれた。

石手寺・通夜堂16:21
2階はやや物置状態ながら110畳敷きの大広間で、奥には舞台もあり、古い大講堂のようだった。体を拭って着替え、門前のコンビニに行ってビールと食料を調達する。明るいうちに一人宴会し、ヘッドランプの灯りで記録整理してから寝袋にもぐり込む・・・までは良かったのだが、しばらくすると、暗闇の枕元でニャオ~と鳴かれてゾクッときた。こうなると、あのギシギシ階段を降り、ガタピシドアを開けてトイレに行く気にはなれなかった・・・。


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