四国八十八ケ所遍路旅

行程 日付 天候 札所 歩行距離 累計
23日目 4月3日 風雨 21.0Km 738.2Km


「雨風に 追われたお蔭の 大師堂」


■行程
永徳寺・通夜堂6:10→8:00内子座8:15→10:15大瀬の館200m手前10:30→11:20千人宿記念大師堂

◆永徳寺・通夜堂6:10
空は鉛色に覆われ、いつ降り始めてもおかしくない状態だ。出るなら雨が降る前に・・・と思い、トイレ清掃を終えてから出発する。歩き始めるとポツリポツリときて、次第に風雨が強まってきた。国道から旧道を経て再び国道に出て、車の水しぶきを避けながら歩く。雨の日の車道歩きは、黙々と歩くには不向きで、どうしても好きになれない。五十嵐(いかざき)駅の手前から左の谷筋を進み、峠を越えて内子に入る。ようやく出合った女性に内子座の場所を聞き、江戸時代の面影を残す街中に入っていった。

内子座8:00・8:15
解説によると、内子座は大正5年2月(1916)大正天皇の即位を祝って創建された、木造2階建ての瓦葺き入母屋造りの建物で、ホールとして活用後、老朽化のために取り壊されるところを、昭和60年(1985)年10月に本格的な歌舞伎も上演できる劇場として再出発したとある。劇場の収容能力は約650人で、現在では年間7万人を超える見学者があるそうだ。
天気がよければ、ゆっくり町歩きをしようと思っていたのだが、容赦なく打ち付ける雨風に追われるようにして先に進む。大きく蛇行する小田川に沿って国道379号線を歩き、長岡山トンネルを越えると遍路無料宿があった。中を覗くと男性が一人おられ、寝床から「雨の中ご苦労さん・・・」といった感じで手を振られた。途中から国道を離れて旧道を進み、大瀬の館の200m手前にあった東屋で一息入れる。

休憩10:15・10:30
風雨の収まる気配がないので、早めに避難場所を探す。資料を見ると4Km程先にある千人宿記念大師堂に泊まれるかもしれないことが分かったので、あと一本!と気を取り直して腰を上げる。

千人宿記念大師堂11:20
お堂の中は6畳ほどの広さで誰もいなかった。前の製麺屋さんに行って「お堂に泊まらせていただきたいのですが・・・」というと「おばあちゃんが居たときにはお接待させていただいていましたが、今は何もできませんがよろしいですか・・・」といわれ、こちらが恐縮した。

お堂の中には、製麺業を営む山本さんご夫妻の新聞記事や写真が数多く貼ってあった。着替えて木魚をたたきながら納経したが、木魚に気をとられてうまく行かなかった。前の製麺屋さんは小さなお店もやっておられ、カップラーメンを買ってお湯を頂戴して昼食とする。時間があったので、堂内に置いてあった愛媛県編纂のA4版、厚み2cmの遍路の歴史をまとめた本を興味深く読み、幾つかの疑問を解消することができた。
夜は同じくカップラーメン、ジャコ天、ビールを買ってお湯を貰った。夕方になっても強い風雨は治まる気配がなかった。ニュースでは、今日、甲子園球場で行われる予定だった高校野球の決勝戦は中止、関西では風雨の被害も出ているようで、今夜から明日に掛けては関東が暴風雨に見舞われるとのことだった。


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