四国八十八ケ所遍路旅

行程 日付 天候 札所 歩行距離 累計
22日目 4月2日 晴れ 43番 36.9Km 717.2Km


「トンネルか 峠越えかを 試される」


■行程
仏木寺門前の休憩所6:15→7:15歯長峠7:25→9:10「43番:明石寺」9:40→13:15鳥坂峠13:20→14:05札掛大師堂14:15→大洲・おはなはん通り15:25→16:20十夜ケ橋・永徳寺・通夜堂

◆仏木寺門前の休憩所6:15
朝は寒くてしばらくヤッケを着て歩く。標高200mの仏木寺から旧道を緩やかに上り、歯長橋を渡って地道の急坂を登って行くと再び旧道に出て、その先の階段から急な山道を1.2Km頑張って標高490mの歯長峠に上る。

歯長峠7:15・7:25
下りも1.7Kmと長い。肱川を渡って県道29号線を左に10分ほどで導引大師のお堂があり、その先から県道を離れて集落の中を歩く。途中で東京の方とご一緒し、再び県道に出て、西予宇和インター手前を右に進んで岩瀬川を渡る。村中を右、左と進み、最後にコンクリートの急な坂道を上っていくと、見上げる石段の途中に43番札所「明石寺(めいせきじ)」の堂々たる山門が建っていた。

「43番:明石寺」9:10・9:40
最初に目に付いたのが山門を覆う屋根瓦で、光沢のある明るい茶色をしていた。石段を上がると正面に本堂、右手に大師堂がならぶ。唐破風造りの本堂の瓦も茶色で、明るく重厚な感じを与えていた。納経後、石段を降りて坂道を下り始めたが「確か裏山を越えるはず・・・」と気付いて引き返し、石段途中から左に進んで裏山を越えて卯之町に下る。

開明学校ほか見学10:05・10:35
私ここでゆっくりしたいので、同行者には先に行ってもらった。この地は幕末にいち早く文明開化の花が開いた町で、シーボルトの高弟であった二宮敬作を慕って、大村益次郎やシーボルトの娘イネなど、多くの蘭学者が集まった地でもある。古い町並みに残された格子や白壁、卯建の上る建物などをゆっくり見て回る。明治15年に建てられた開明学校の校舎は、アーチ型の窓などを取り入れた擬洋風建築で、国の重要文化財に指定されている。

国道56号と平行する旧道を1.5時間ほど歩いて鳥坂トンネル手前の分岐まで進むと、道標に「トンネル25分、鳥坂峠越え5.5Km60分」とあった。勿論、鳥坂峠を越えるつもりだが、道標を見て一瞬迷ったことも事実である。左に進んで山裾を辿ると東屋があったので休憩して半袖になる。峠まで1.7Kmの道標を見て歩き始めると、大洲藩鳥坂番所の史跡があり(12:50)、30分程の頑張りで標高差180mを登りきる。

鳥坂峠13:15・13:20
標高470mの峠から地道を30分程下っていくと、林道脇に椎茸栽培用のほだ木が積み上げられていた。延々と続くその長さに驚きながら歩いていると、5-6人の男女の方が作業されていた。ドリルで穴を開け、菌を埋め込み、積み上げるという気の遠くなるような作業である。山道を下りていくと、道路と合流する手前に札掛大師堂があったので立ち寄る。

札掛大師堂14:05・14:15
境内は草が伸び、堂内も物置状態で荒れていたが、とりあえず納経して一息入れる。松山自動車道を越え、嵩富川に沿って北に進んで肱川を渡ると、右手に3000坪の大庭園をもつ臥龍山荘があった。臥龍山荘は明治の実業家、河内寅次郎が、構想10年、施工4年の歳月をかけて明治40年(1907年)に完成をみた山荘だ。

大洲15:20
大洲の街中に入ると明治時代の面影を残す家並みが残されていて、中に、1966年度のNHK連続テレビ小説「おはなはん(樫山文枝主演)」の舞台となった"おはなはん通り"があった。街並みをゆっくり歩いて肱川橋を渡り掛けると、左手に肱川に張り出すようにして大洲城が聳えていた。パンフレットには、城は4層4階で、平成16年に再建されたとあった。大洲の市街地を抜け、通行量の多い国道を進んで十夜ケ橋(とよがばし)に向かう。今夜は永徳寺の通夜堂にお世話になるつもりだ。

十夜ケ橋・永徳寺・通夜堂16:20
永徳寺は国道56号線と松山自動車道が交差する角にあり、交差点近くには温泉もあった。納経してから納経所で通夜堂をお願いすると、納め札を求められたので記入して渡す。通夜堂は境内のトイレの裏側にあり、中は6畳の広さで、フトン、電灯があって快適そうだった。体を拭って着替えてから、200mほど離れたスーパーに買出しに行く。今夜はワインを飲もう!。明日は雨の予報なので酔っ払えば停滞してもいい・・・。


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