四国八十八ケ所遍路旅

行程 日付 天候 札所 歩行距離 累計
21日目 4月1日 晴れ 41番~42番 27.7Km 680.3Km


「ガシガシと 角突きおうて 牛相撲」


■行程
「新橋旅館」7:55→勧進橋10:00→10:10宇和島城10:50→11:20闘牛場15:00→17:05「41番:龍光寺」17:25→17:55「42番:仏木寺」18:10→18:10仏木寺門前の休憩所

◆「新橋旅館」6:55
昨晩のTVでも、今日の昼から市営宇和島闘牛場で春場所が開かれることが報じられていた。宿の女将さんにも、おじいさんが元気な頃はよく見に行っていましたよと勧められ、気分は遍路モードから一気に闘牛モードへと切り変わっていった。

私のガイドブックには、国道56号線を1.5キロ程進み、旧道を経て旧松尾トンネルを抜けるルートが載っていたが、遍路マークを辿ると松尾トンネル(1710m)の手前から左に登っていった。帰って調べると、松尾トンネルの上を通る旧遍路道が復活されたようだ。現在では新松尾トンネルも開通していて、旧松尾、新松尾、松尾の3本のトンネルが平行して山中を貫いている。樹林に覆われた落ち葉道を標高差100m程登ると、峠に「遍路小屋26番わんや」があった。

休憩8:00・8:10
めずらしい名前なのでこれも帰って調べると、遍路小屋は現地の町おこし団体「てんやわんや王国」の皆さんの努力で建設され、小屋の名前は、獅子文六が津島の宿で執筆した小説「てんやわんや」にちなんで名付けられたとのこと、そういえば登り口にブロック造りの休憩小屋があったが、あれが「てんや」か・・・。
私もここまで遍路小屋には随分お世話になってきたが、これらは「ヘンロ小屋プロジェクト」という団体が歩き遍路をサポートする目的で建設しているもので、2001年から15年間で89棟の小屋を造る目標を掲げ、2012年1月現在で43号(番)まで建設が進んでいるそうだ。
峠から下って採石場を通過して国道56号線に戻るが(8:55)、しばらくすると国道を外れて古い街並みの旧街道を進み、勧進橋(10:00)から小高い丘に見える宇和島城に向かって歩く。

宇和島城10:10・10:50
ザックを預ける所がなかったので、460mの急な石段を登って天守閣のある広場に上り、ベンチにザックを置いて天守閣に向かう。満開の桜を通して見る天守閣は三層で、小さいながらも風格が感じられる。入口でもらったパンフレットには、1601年に藤堂高虎が築城し、伊達宗利が建て直したとあった。天守閣に上がると山裾から海沿いまで市街地が密集する360度の展望が得られた。
城を下り、繁華な新町を通って市営闘牛場に向かう。平地にあると思っていたら、あの丘の上にあると教えられ、道標に1.1Kmの表示を見てタメ息をつきながら車道を登っていった。

闘牛場11:20・15:00
闘牛場はお城と同じく標高90m程の丘の上にあった。次々とやって来る列に並んでチケットを買い(3000円)、ドーム状の会場に入る。中央の柵に囲われた土俵の直径は20mで、周りに設けられた客席は自由席である。観客は600人程だろうか。

やがて横綱の土俵入り、大関の紹介、大会関係者の挨拶などの後、11番の取り組みが始まった。呼び出しの声に東西から1トン近い巨体を揺すりながら土俵に入ると、自ら角を突き合わせて勝負が始まるのだが、中には相手に突きかかっていく牛もあって迫力満点である。勝敗はどちらか戦意を無くした(逃げる、背を向ける)方が負けとなるのだが、引き分けがないので勝負がつくまで40分近くかかった取り組みが2番あったが、短い場合は50秒ほどで勝負がつくので目が離せない。技も押し合うだけではなく、互いに相手の呼吸を計りながら、押したり、引いたり、透かしたり、ひねったりと、大相撲顔負けの技や駆け引きもあって面白く、柵に追い詰められて一旦は背を向けた牛が、反転して再びガップリ組み合う場面などでは会場から大歓声が上がる。大相撲で負けたと思った力士が土俵際でくるりと一回転して再び組み合うのとまったく同じだ。

興奮冷めやらぬ思いのまま、闘牛場から満開の桜並木を反対側に下る。JR予土線を渡って北に進み、北宇和島駅の先でもう一度線路を渡って県道57号線に合流すると、ここから緩やかな坂道が5km近く続く。何度も言うようだが、山道と違って車道のダラダラ上りは本当に辛い。ようやく峠に上がり、そこから3Km歩いて41番札所「龍光寺(りゅうこうじ)」に着いた。

「41番:龍光寺」17:05・17:25
2日ぶりの札所である。ここは札所中神仏が同居する唯一のお寺だそうで、参道入口に鳥居があり、正面石段を登りつめたところが稲荷社で、本堂は参道途中の左手、大師堂は右手にあった。納経所は既に閉まっているので参拝者の姿はない。納経後、お寺を掃除されていた方に、この先に食料品店があるか訊ねるとないとのことだった。それじゃ寺の下にあった店でうどんを食べてから行きますというと、「店はもう閉まっているし、うちにバナナがあるから持ってきてあげるわ」と言われた。私が固辞しても「直ぐやから待ってて」と言い残して車で走り去り、5分足らずで戻って来てナイロン袋を渡された。お接待に感謝し、墓地から裏山を越えて旧道を行くと、道路際に42番札所「仏木寺(ぶつもくじ)」があった。

「42番:仏木寺」17:55・18:10
夕日に輝く新しい二層の山門をくぐって石段を上ると、右手にめずらしいカヤ葺きの鐘楼があり、左手のさらに一段高い境内に本堂と大師堂が並んでいた。こちらも人影はなく、長かった一日の想いを込めて納経する。今日のねぐらは山門下にある休憩所だ。石段を掃除されていた方に「休憩所に泊まらせていただきます」というと、「遍路の方がよく泊まられていますよ」とのことだった。

仏木寺門前の休憩所18:10
日が落ちると急速に冷え込んでくる。狭いベンチに無理やりツェルトを張り、マットを敷いて寝床を作り、体をぬぐって着替えるとようやく落ち着いた。接待いただいたバナナ2本、パン1個、蜜柑2個で夕食をすませ、ウイスキーの水割りで疲れを癒してから寝袋に入る。今日は晴れていたが気温が上らず寒い一日で、夜も冷え込むらしい。


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