四国八十八ケ所遍路旅

行程 日付 天候 札所 歩行距離 累計
2日目 3月13日 8番~11番 28.4Km 46.9Km


「100回の 大先達と 野宿かな」


■行程
民宿「いしだ」6:55→7:45「8番:熊谷寺」8:10→8:40「9番:法輪寺」8:55→9:15お茶とお菓子の接待9:25→10:05「10番:切幡寺」10:25→11:30吉野川対岸の休憩所11:45→12:45「11番:藤井寺」13:10→14:40 長戸庵14:50→15:45柳水庵15:50→15:52休憩所

◆民宿「いしだ」6:55
晴れているが冷え込みで息が白い。民宿から西に進み、県道を横断して旧道を進む。吉田の集落に入ると遍路道標識は西、「四国の道」は北を指していた。散歩中の人に尋ねると、四国の道のほうが分かりやすいというので北に進んだが、車道をダラダラと登って徳島自動車道を越えるという風情のない道だった。やがて車道の左手の田園の中に8番札所「熊谷寺(くまたにじ)」の山門が見えてきた。

「8番:熊谷寺」7:45・8:10
境内を分断する車道から右に逸れ、白壁に囲まれた庫裏の前を通って広い駐車場に出ると、立派な多宝塔が目を引く。多宝塔の前から石段を上って中門にザックを置いて本堂へ、大師堂はさらに左手の石段を上る。

納経後、車道を渡って遍路道を南に進むと立派な山門があり、往時の境内の広さが窺える。解説板には「この二王門(仁王門でなく)は和洋と唐様(禅宗様)の折衷様式で、貞享4年(1687年)に建立。高さ13.2mは四国八十八カ所霊場中最大で、県の重要文化財に指定されている。」とあった。遍路道を南に進むと田園が開けて南西に雪を戴いた剣山(1955m)が姿を見せた。ワオー!。やがて田園の中に9番札所「法輪寺(ほうりんじ)」が見えてきた。

「9番:法輪寺」8:40・8:55
二層の山門には「正覚山」の額がかかる。砂が敷きつめられた境内の正面に本堂、その右に大師堂が並ぶ。誰もいない境内で、少し大きめの声で納経していると、バスが1台やって来て急に賑やかになった。ネット情報では、四国遍路は年間20万人とも30万人ともいわれ、その殆んどがバスツアーで、次が車だという。歩き遍路の数は定かでないが、通し歩きの遍路は1%(2000~3000人)程度と言われているらしい。10番札所に向かって歩いていると、通りすがりにおばあさんからに呼び止められ、飴玉3ケのお接待を受けた。お接待の風習があることは知っていたが、さりげない感じが何とも心地よく、自然にありがとうございますと声が出る。しばらく行くと道端に椅子が置かれていて、お遍路さん休憩して下さいと書かれていたので一休みさせていただいた。テーブルにはお茶とお菓子が置かれ、人の姿は見えないけれども暖かさが伝わってきて、四国遍路の一端に触れたような気がした。10番札所「切幡寺(きりはたじ)」への長い坂道にさしかかると、うどん屋から人が出てきて「店は休みやけど荷物置いていったらいいよ」といってくれたので、店の前の棚に置かせてもらう。アスファルトの坂道を15分程歩くと山門が見えてきた。

「10番:切幡寺」10:05・10:25
朱塗りの山門から333段の石段を上がると本堂で、右に大師堂がある。納経後、さらに111段上がると徳川2代将軍秀忠が大阪住吉神宮寺に寄進したものを、明治6年にこの地に移築したという、二重の塔が建っていて、ここから吉野川が東西に悠然と流れる下界が一望できた。

切幡寺から南下して潜水橋を渡り、中州を横断して川島橋(潜水橋)を渡って吉野川の対岸に上る。対岸の遍路休憩所は野宿にはうってつけの感じだったが、宿泊禁止になっていた。当初の予定では2日目は藤井寺の2Km程手前にある人気の善根宿「鴨の湯」に泊まるつもりだったが、予定を変更して藤井寺から6.6Km先の柳水庵を目指す。遍路道はJR徳島線の踏切を渡り、国道192号線を横断して山に向かっているが、食料調達のため192号線を鴨島駅近くまで歩いて、コンビニに寄ってから北に進む。やがて集落の外れから細い道に変わり、民家の庭先を通ると11番札所「藤井寺(ふじいでら)」の山門が見えた。

「11番:藤井寺」12:45・13:10
山門を入ると左手に鐘楼、正面の一段高いところに本堂、その右に大師堂がある。納経後、腹ごしらえをしてから本堂左手の遍路道に取付く。道標には此れより焼山寺まで健脚5時間、平均6時間、弱足8時間とあった。ここから12番札所の焼山寺へ至る12.5Kmの道は厳しい登りが3度もあり、「遍路ころがし」と呼ばれる難所として知られている所だ。阿波(徳島)には「一に焼山(12番焼山寺)、二にお鶴(20番鶴林寺)、三に太龍(21番太龍寺)」と歌にも読まれている山上の寺が多く、歩き遍路にとっての最初の修行の場にもなっているらしい。ちなみに、遍路ころがしと呼ばれている山登りの難所を累積標高差順に並べると、(1)12番焼山寺、(2)66番雲辺寺、(3)60番横峰寺、(4)20番鶴林寺、(5)27番神峰寺・・・となるらしい。とはいえ、昔は草鞋、現在はウォーキングシューズで登れる山道なので危険なところはなく、余裕を持ってゆっくり歩けば良いだけのことである。標高40mの11番から一登りすると眼下に吉野川の展望が開け(13:40・13:50)、もう一頑張りすると標高480m辺りの尾根に上って、少し下ると鞍部に長戸庵があった。

長戸庵14:40 ・14:50
納経後もさらに登り道が続いて625mまで高度を上げるが、やがて下りとなって柳水庵の奥の院の前に導かれ、そこから100m程下に休憩所があった。

柳水庵下の休憩所15:52
休憩所の標高は600m程である。建物は平屋で10畳程の板敷き、水は前に引かれており、トイレは柳水庵にある。中には先客が一人おられ、同宿をお願いしてから荷を解く。かなり冷え込んでおり、体を拭って着替えてようやく一息ついた。先客の方は70歳の男性で、福岡の寺に生まれ40歳頃から100回以上も回っておられるらしく、風貌からも、かなり年季が入っている様子だった。私の夕食はお握りとソーセージ。先客はインスタントラーメンだけというのでソーセージを差し入れると、食後に温かいコーヒーを馳走いただいた。遍路や弘法大師の話から山あり谷ありの人生航路まで・・・シュラフに入ってからも話が続き、20時過ぎに就寝した。


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