四国八十八ケ所遍路旅

行程 日付 天候 札所 歩行距離 累計
14日目 3月25日 晴れ時々曇り 37番 41.5Km 446.8Km


「焼坂と大坂 越えて 岩本寺」


■行程
遍路休憩所6:15→大善寺→安和8:50→9:42焼坂峠9:57→大阪越え→12:58七子峠13:15→14:00お雪椿14:10→15:05道の駅あぐり窪川15:15→16:20「37番:岩本寺」16:40→16:42岩本寺の駐車場・車庫

◆遍路休憩所6:15
耳栓のおかげで自動車の騒音も気にならずに眠ることができた。同宿の方は朝方少し寒かったそうだ。風が冷たいのでヤッケを着て出発する。
県道23号線を西に進んで小橋を渡り、大きなセメント工場のある川沿いの道を歩く。川にはたくさんの水鳥がいて、朝日にきらめく川面で羽を休めていた。須崎の大峰橋で浦ノ内湾ルートと合流し、最初のトンネルを迂回して観音寺の先で国道56号線に出る。次のトンネル手前を左に曲がってまだ人気のない商店街を進むと別格霊場の大善寺があった。
本堂は急階段の上にあったので下からお参りさせていただいていると、掃除に来られたおばあさんから、上にあがらないの・・・とチェックされてしまった。
そこから先の道が良くわからなかったので、引き返してトンネルを通って新庄川を渡り、トンネルを2つ抜けて安和の集落に入る

安和8:50
安和の集落から海岸線を離れて焼坂峠への道を辿る。逆打ちの方に聞いていた通り、砂防ダムの取り付きに「工事中のため迂回してください(時間30分)」と書かれた看板があった(9:07)。迂回路は広い林道を緩やかに登って行くのだが、これが結構長く感じられる。25分で遍路道と出合い、急登10分で峠に上る。

焼坂峠9:42・9:57
峠の標高は228mで、下りは樹林の広い道を気持ちよく40分程下って国道56号線に合流する(10:37)。次の七子峠へは明治に開かれた大坂越えと、江戸以前の往還道である添蚯蚓坂(そえみみずざか)のルートがあり、私は大坂越えを選択した。土佐久札の町から大坂谷川に沿って1時間15分程歩くと七子峠まで1.0kmの道標があった。石畳の道を進むと次第に斜度を増し、九十九折れの急坂と階段登りで高度差200mを一気に登りつめていく。特に最後の階段登りの段差が大きくて足があがらず苦労した。

七子峠12:58・13:15
峠の標高は290mで、こちらは道路が通っていて、展望台もあるので人が多かった。遍路道は国道から離れ、山際の細道を辿って影野に下る。樹齢350年といわれる「お雪椿」で休憩し(14:00・14:10)、道の駅あぐり窪川で休憩し(15:05・15:15)、ひたすら国道を進んで窪川の町に入ると、37番札所「岩本寺(いわもとじ)」があった。

「37番:岩本寺」16:20・16:40
仁王門をくぐると右手に円形の歓喜天の御堂とその横に大師堂がある。正面の本堂には鮮やかな赤の欄干がめぐらされていて、格子天井にはやや稚拙な天井絵が一面に描かれていた。納経後、納経所に行って、通夜堂に泊めていただきたいと申し出ると、通夜堂はないといわれた。私が、岩本寺で泊めていただけると聞いてきたというと、それは通夜堂ではなく寺のガレージのことだろうといわれ、ノートに住所氏名を記入すると、地図をくれた。場所は山門から50mほど離れた駐車場にあるガレージで、よこにはトイレもあって便利そうだった。

岩本寺の駐車場・車庫16:42
シャッターを開けると中は車2台分ほどの広さがあり、蛍光灯もつくので安心した。置いてあったダンボールと車のリクライニングシートと思われるクッションをコンクリートの上に敷き、その上にシュラフを広げた。近くで買ったコンビニ弁当を食べていると、寺の人がやってきて、21時頃にもう一人来るそうなので、来たらこれに住所氏名を書いて明日の朝、寺に持ってくるように伝えてほしいといわれる。

その人は21時過ぎにやって来て、遅くにすみませんと言いながら私の横にダンボールを敷いてシュラフに入った。男性は三重県の方で、前回は区切り打ちをしたので、明日は始発電車で土佐入野に向かい、足摺岬をめざすとのことだった。今日は晴れ間が広がったものの、気温が上らず風の冷たい一日だった。2つの峠越えがあったが、それ程高くなかったので二度目の40Km越えとなった。別段、遍路日数の短縮を目指しているわけでもないのだが、意識的にゆっくり歩くのは辛く、黙々と歩くという動作が修業に思えてきたせいなのかもしれない。


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