■行程
五台山・休憩所6:10→7:47「32番:禅師峰寺」8:25→9:43種崎の渡し10:10→10:17対岸→11:10桂浜・竜馬像11:20→12:15「33番:雪蹊寺」12:30→13:45「34番:種間寺」14:00→15:25白石旅館
◆五台山・展望所6:10
朝、目が覚めたらツェルトの内側がびっしりと結露していた。外は夜半からの雨、今日は終日雨との予報である。雨具に身を固め、傘を差して竹林寺の境内に戻り、山門下から長い石段を南に下る。下田川に架かる小橋を渡って川沿いを東に進む。県道に合流すると南に方向を変え、石戸トンネルを抜け、石戸池を回りこんで、沢状態になった急な地道を340mほど登って行くと、標高82mの32番札所「禅師峰寺(ぜんじぶじ)」に至る。
「32番:禅師峰寺」7:47・8:25
石段の途中にある山門の金剛力士像は、鎌倉時代の仏師、定明の作で国の重要文化財だそうだ。参道の両側には石灰岩石の怪奇な景色が広がる。石段を上がると、正面に本堂、左手に大師堂があり、本堂前の岩の間には芭蕉の「木枯らしに岩吹き尖る杉間かな」の句碑があった。雨のせいか人影はなく、ゆっくりと納経する。境内からは桂浜が望めるらしいが、眼下には雨に煙る太平洋が広がるのみであった。
来た道を下り、種崎の渡しに向かって一本道を西に歩く。雨は本降りで、靴の中にも水が浸み込んでいた。
種崎の渡し9:43・10:10
種崎から浦戸湾を渡る県営の渡し船は無料で、対岸の船着場まで575mを約5分で渡る。渡し場の休憩所で、おばあさんと「雨が降って大変ですね~」などと話をしながら待っていると船が来て、4人が乗り込んだ。左手には見上げるばかりの高さに浦戸大橋(1480m)が架かっていた。
桂浜に行くなら浦戸大橋を渡る方が3Km程近いのだが、渡し船にも乗ってみたかったので遠回りはやむを得ない。下船して川沿いを西に進み、村中から左回りに進んで海岸線に出て、県道14号線を東に歩く。雨の弱まる気配はなく、鉛色の空と白波の立つ海を見ながら歩道を歩き、浦戸大橋に向かう坂道の途中から右の道を登る。峠のバス停から道標に従って進むと目の前に桂浜が広がり、少し登ると竜馬像があった。
桂浜・竜馬像11:10・11:20
雨の中でカメラを上向きに構えるのは難しい。携帯でも撮って女房と娘に送信すると、何となく一仕事終えたような疲れを感じるのは雨のせいだろうか。来た道を戻り、村中から西に1Km足らず進んで33番札所「雪蹊寺(せっけいじ)」に着いた。
「33番:雪蹊寺」12:15・12:30
雪蹊寺は町の中にあり、石柱の門をくぐると右手に新しい鐘楼があり、正面に本堂、右手に大師堂が建つ。資料によると、寺には鎌倉時代の仏師運慶と長男湛慶、及び一門の作による主要文化財が16体あり、運慶晩年の作といわれる薬師如像は、国の重要文化財に指定されているとのことだ。相変わらず人影は少なく、雨音を背に、灯明、線香を供えて納経する。
次の34番札所「種間寺(たねまじ)」へは6.3km程で、33番から西に進んで田園地帯を抜け、新川川を渡ってさらに西に進む。雨は弱まるどころか一段と強くなってきた。
「34番:種間寺」13:45・14:00
県道沿いに建つ種間寺には山門がなく、細長い境内に配された本堂、大師堂などの伽藍は、すべて昭和45年(1970年)の台風の後に再建されたということだ。観音堂には「子育て観音」の額がかかり、観音像のまわりには、安産祈願の底の抜けた柄杓(通りがよくなる)がずらりと並んでいた。納経後、今日は旅館泊まりと決めて、土佐市の白石旅館に電話する。
34番からは県道を進んで国道56号線に合流し、清流日本一を誇る仁淀川を渡って右折し、土手道を進んで土佐市に入る。旅館の場所が分からなかったので、電話して目印を聞き、人に尋ねながらどうにかたどり着いた。
白石旅館15:25
遍路相手の旅館はどこも年季が入っている。おばあちゃんの出迎えを受け、案内された2階の部屋にはコタツが置かれていた。浴衣に着替えて、靴に新聞紙を丸めて入れてから洗濯をする。風呂は懐かしいタイル貼りで、冷えた体を湯船に沈めると、フーとタメ息が出る。夕食はご夫婦の遍路と男性遍路と私の4人で、ご夫婦は旅館に荷物を置いて35番札所を往復してこられたとのこと。私も明日は空身でピストンするつもりだ。乾燥を終えた洗濯物を部屋に干してからフトンに入る。
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