普通ならある程度の高さで設ける垣根。しかし、この屋敷のものはそれほど高くはな
かった。仲間内であまり背が高いとは言えない不二でさえも、背伸びをするとか、何か
台に乗るとかしなくても、十分に庭を見渡せるものだったのである。年頃の姫がいるな
らば、100パーセントとはいかないまでもおそらく90パーセントくらいは、どこの
誰とも分からない馬の骨に大事に大事に育ててきた姫を獲られたくないと考えるのは当
然のことだろう。それなのにここの造りは常識から少し外れていた。
(…………本当に姫がいるのかな?)
不二の呟きは当然のものである。
(……でも、あの桂の言葉だしね。もう少し観察してみようvv)
あまり気が長い方ではない不二。普段なら10分も持てば良い方である。しかし、こ
の時は違った。微笑みは絶えることなく自然にあり続け、15分を過ぎてもそれは変わ
ることがなかった。
不二の気持ちが天に届いたのだろうか。ついに庭に面した部屋の御簾の内から声が聞
こえた。
「ねぇ桜乃。外に出ていい?」
「駄目です」
「何で?」
「何でって……。リョーマ君、姫としての自覚ある?」
どこかで聞いたような内容の会話であるが今は忘れよう。
桜乃と呼ばれた、おそらくもう一人の人物の側女と思われる少女が溜め息を吐いたの
が手に取るように分かる。そして、その少女が言った言葉を不二は聞き逃さなかった。
(姫!? 見つけた。リョーマ君っていうんだねvv 声、僕好みで凄く可愛いなぁ。
後、顔が整ってたら完璧なんだけどどうだろう? でも、この声から想像する限り凄く
可愛いと思えるのは僕だけかな? 取りあえず、御簾だけでも上げてくれないかなぁ…
…)
真剣に悩んでいる顔をしながらも、考えていることはどうしようもないことだった。
ここに菊丸と桃城がいれば、不二が何か善からぬことを考えているということぐらいは
分かったであろう。阻止することは出来ないまでも……
しかし、慈悲深いはずの天が味方したのは、何故かまた不二であった。
「じゃあ、御簾上げて!」
「駄目です!!」
「だから何で!?」
「さっきも言ったけど、リョーマ君姫としての自覚ある?」
先ほどと全く同じ会話が繰り返される。
リョーマはどうしても外に出たいらしい。
不二は顔を拝めるとますます笑みを深くする。
「そんなの知らない!」
「知らないじゃないの! リョーマ君は姫なんだよ。外に出たりして、もし変な人に顔
見られでもしたらどうするの!」
「ぶっとばす!」
袿姿でファイティングポーズをしっかりと決めるリョーマに桜乃は泣きたくなったが、
ここで泣いても事態は一向に変わらない。気合を入れ直すと桜乃は再びリョーマの説得
に全力を注ぐ。
どれくらい不毛な説得が繰り広げられていたのだろうか。
「ヤダヤダ!」と桜乃の言葉を全て拒否し続けるリョーマにとうとう桜乃が折れた。
「分かりました。御簾だけですからね。外には絶対に出ちゃ駄目だからね! 後、顔は
絶対にこの扇子で隠すこと!!」
「え〜、面倒臭……」
「駄目です! この約束が守れないなら、今後一切我が儘禁止!!」
最後まで文句を言わせてもらえず、その上我が儘(リョーマ曰く、当然のコト)まで
禁止されてしまっては、束縛や命令されることが大嫌いなリョーマにとって拷問のよう
なもの。ただでさえ、屋敷の中でじっとしているなどもあまり好まないリョーマにとっ
て、庭で愛猫のカルピンと遊ぶということは唯一の楽しみなのである。
まだまだ言いたいことはたくさんあったが、これ以上最悪な状態に自分を置いておき
たくないため、リョーマは渋々頷いた。
「これで、いい?」
「ありがと桜乃」
なんだかんだ文句を言いながらも結局最後には自分の言う通りにしてくれる桜乃がリ
ョーマは好きだった。だから、お礼とともに見た者全てを魅了する綺麗な笑顔を浮かべ
た。しかし、それは今ここでは絶対にやってはいけないことであった。
生け垣の外には一応東宮である不二が覗き見をしているのだがら。
運がなかったとしかいいようがない。それとも天上にいる神が、暗い地の底にいる魔
王に倒されたのであろうか。どちらにしても展開は不二の願ったように進んでいる。
「英二たちの野生の感も捨てたもんじゃないね。ばっちり僕好みだよvv さてと、どう
しようかな?」
リョーマから視線を外すことなく、どんな方法で手に入れようか策略を考える。
その表情はいつになく真剣だった。
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