所長室から出てきたリョーマに気付いた菊丸は、おいでおいでとリョーマを手招きした。
リョーマはというと嫌がる素振りも見せず、真っ直ぐに菊丸と大石の席に行く。そして、
手前で止まるかと思いきやそのまま菊丸に抱きついた。
「俺やっぱり菊丸先輩とコンビ組むっス」
「え、え、えぇ〜〜!?」
外にまで聞こえてもおかしくない声量で菊丸は叫んだ。
そんな菊丸の暴走のくい止め役の大石すらも、たった五分たらずの間に一体何が?とウ
〜ンと唸りながら悩んでいる。
「英二、今の大声は一体な……」
遅れて所長室から出て来た不二がいまだ耳の奥がキーンとするほどの大音量で叫んだ菊
丸に対して文句を言おうとして途中で止まった。
元々沈んでいた不二の気分が更に拍車をかけて急速度で下降していく。
「英二vv どんな死に方がいい?」
「し、死にたくはないかにゃ?」
「駄目vv」
エヘッと可愛く断るが、これまた笑顔で却下されて、滝のような油汗が菊丸の全身を伝
っていた。
死にかけ最前線の菊丸を救ったのはパートナーの大石ではなく、抱きついたままのリョ
ーマだった。
「菊丸先輩に何かしたら俺許さないっスからね!!」
「リョーマ君。僕は君に対しても怒っているんだよ。何かあるとすぐに手塚や英二に抱き
つくその癖。凄くムカツクんだけど。もう一度言うけどね、普段温厚な僕でも怒る時はち
ゃんと怒るんだからね。例え相手が何よりも大事な君だとしても。だから、すぐに英二か
ら離れろ!!」
「うるさいっ!! アンタは俺のことなんて気にせずホストでも何でもやればいいだろ。
所長と結託して俺を除け者にするぐらいなんだから、俺なんか捨てて所長とより戻せばい
いだろ! 俺は菊丸先輩と組むんだから。たった今そう決めたのっ!!」
言い終えた時、リョーマの瞳には涙が溢れてきていた。
リョーマは先ほどよりも強く菊丸に抱きつき、胸に顔を擦りつけた。
「不二ぃ、ホストやるってどーゆーこと?」
目の前に最強の魔王・不二がいるというのにリョーマの行為に抵抗する気配すら見せず、
声を殺して泣いているだろうリョーマを優しく抱きしめながら、不二にはいつになく真剣
で、返答次第では何をするか分からないぞという剣呑な光を宿したキツイ眼差しを向ける。
それに対して不二は仕方ないなぁというふうに重い溜め息を一つ吐くと、菊丸に河村か
らの情報とそれによって決定したことを説明した。
「…………」
氷帝ホストクラブがどれほど危険な場所か知っている菊丸は、子供扱いとかそんなこと
ではなく、皆が純粋にリョーマを心配していることが分かったし、菊丸自身もそれに賛成
だったので話を聞き終えた後何も言えなかった。
「リョーマ君。英二が何も言わないのは英二も僕がホストとして潜入するのが適任だと分
かったからだよ。勿論大石も反対なんかするはずない。だからリョ……」
「ヤダッ!」
宥めようとした不二の言葉を、いまだ頑なな状態のリョーマが最後まで言わせることな
く拒絶する。
「……何度も言うけど、僕は君を危険な目に合わせるわけにはいかないんだ……」
「ヤダ!!」
「君だって僕とコンビを組む時に、手塚が言った言葉を忘れたわけじゃないでしょ?」
「それは……」
「……越前。今日からこの不二がお前の師匠兼パートナーになる。分からないことは何で
も不二に聞け」
「ども」
手塚に言われて見上げた男・不二周助は、何を考えているのか分からない不気味な笑顔
をリョーマに向けていた。手塚に言われ、ペコリと頭を下げたリョーマをニッコリ笑って
迎えた不二は何故かとても嬉しそうである。
「なんスか?」
「ん? いや、やっと、僕にもやっとパートナーが出来たな〜って思ってね」
「……アンタ、ここではナンバー2でしょ? 今まで一人でやってたの?」
「そうだよ。手塚が一人でやれって言うから……」
それはそうであろう。相手はあの不二である。誰と組ませても先に相手が逃げていって
しまうのだ。試しに菊丸や大石とも組ませてみたのだが、やはり菊丸と大石が組んでいる
時以上の力は出ないようだ。そこで、手塚は不二の能力を認め、一人で仕事をさせること
にしたのだ。しかし、今回リョーマがここ青春探偵事務所に入って来たことにより、手塚
は一つの賭けに出たのである。つまり、不二とリョーマを組ませてみようと……。
後のリョーマはこう愚痴る。そう、手塚は不二の一人暴走を止めるために自分を人身御
供にしたのだと。
「最初に言っておくが、ここではドラマみたいな仕事があるとは思うなよ。俺たちの仕事
は地味なものが中心だ!」
「! そうなんスか?」
「そうだよ。ペット探しとか、人探しとかがメインかな?」
不二の言葉にリョーマはしょぼくれてしまった。大抵、ここで働きたいという人物は、
ドラマのような事件に憧れてやって来て、ショックを受けて辞めていく。まあ、それだけ
が辞める理由ではないのだが……。あの男の影響が八十パーセントを占めるだろう。リョ
ーマはそんなことではここを辞めないだろうが、手塚は先に言っておくことにしたのだっ
た。
「それと……」
「まだ何かあるんスか?」
「あぁ、仕事に慣れるまでは危険なことに首を突っ込むなよ! 不二、お前もだ!!」
「えー、僕、そんなことしないよ」
いや、お前のその顔はむしろやる気満々だ!と、手塚は心で言い返す。
「とにかく! 俺がいいと言うまでは危険なことはするな! いいな!!」
「「はい」」
「思い出してくれた?」
「……けど!」
それでもなんとか自分が潜入捜査をしたいリョーマは引き下がろうとしない。
「……今回は僕に行かせて。次は必ず君に行って貰うから」
「次っていつっスか?」
今日のリョーマはいつになく頑なである。これには不二にもどうすることも出来ないか
に見えた。
「……ファンタ」
「え?」
「リョーマ君がここで僕のことを待っててくれるなら、毎日ファンタを買ってきてあげる」
不二の言葉に傍で話を聞いていた他のメンバーは、誰もがそんな餌に釣られるリョーマ
ではないと思っていた。思っていたのに、リョーマの次のセリフはそんな思いを覆すもの
だった。
「……二本」
「ん?」
「毎日ファンタ二本買ってくれる?」
「うん、勿論」
「なら、ここで待ってる」
「ありがとう」
この潜入捜査にどのくらいの日数がかかるかは誰にも分からない。それなのに毎日二本
のファンタはかなりの出費である。しかも、内容が不二がリョーマを諦めさせるためのこ
となので、経費では落とせない。が、やはりここは不二様である。そのまま、所長に報告
するついでに、何か手塚と話しているかと思えば、封筒を持ってにこやかに戻ってきた。
どうやら、その封筒の中にはリョーマに渡すファンタ代が入っているようだ。一体どうや
って説得したんだと勇気を持って聞いた菊丸に不二は、「え? 僕の誠意かな?」と返し
た。そんな不二の言葉を、ちょうど所長室から出て来てしまった手塚はうっかり聞いてし
まいキリキリと痛む胃を押さえながら通り過ぎたのは言うまでもない。
はてさて、不二が手塚に何と言って経費を貰ったのかを知るのは不二と手塚だけである。
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