例の脅迫文が届いてからもうすぐ一週間が経とうとしている。
太一は特に何事もなく過ごしていたが、心の中は複雑だった。
亜久津と千石が出した答えは、要求を飲むということだった。そして、返答をしてから
二人はおかしな行動を取り始める。亜久津は脅迫文のことを綺麗に忘れ去ったように、毎
日をパチンコや競馬、喧嘩で過ごしていた。千石は会社内や太一の前では普段通り明るく、
どこかふざけているような態度を崩すことはなかった。しかし、太一は気付いていた。い
や、知ったという方が正しいだろう。
二、三日過ぎた頃、どうしても気になった太一はこっそり千石の後をつけたのである。
ここでも違和感があった。いつも通りの千石なら太一がつけていることなど、すぐに気付
いただろう。しかし、この時、千石は太一のことに全く気付いた気配もなく、脅迫文を読
んでいた時と同様の真剣な顔をしていた。そして、その後、爽やかな笑顔が似合う、一見
見た限りでは好青年としか思えない男と会っていた。
ある程度の距離を置いているため、会話の内容は耳に入ってこない。しかし、千石の表
情、態度などから、その相手とは初対面であろうことが分かる。そして、最後に手紙らし
きものを受け取り、千石はその男と別れた。声を掛けようかどうか迷ったが、結局できず
その日はそのまま帰途に着いたのだった。
次の日、出社して千石に昨日のこと聞いてみようと思いはしても、実際に行動は起こせ
なかった。何故だか千石の背中が何も聞かれたくないとというオーラを発しているように
感じたからである。
決定的だったのは、千石のデスクの上で見つけてしまった誘拐を連想できる計画を書き
記した紙だった。
太一は仕事もそっちのけで悩んだ。食事など、とっているようでとっていないだろう。
誰かに相談したかったが、一番相談したい相手である亜久津は傍にいないうえ、意識的に
そうしているのか、連絡も取ることができない。太一は本音を言えば逃げ出したかった。
何もかも捨てて。しかし、そんなことはできない。自分が原因だと嫌というほど知ってい
るので……。
(どうしたら、どうしたらいいですか、亜久津先輩……)
必死で亜久津のことを思うも、返事が返ってくるはずもない。がその時、太一の頭の中
に一人の顔が浮かんできた。
(そうです。アノ人なら……)
希望の光を見つけることができた太一は、今までも纏っていた黒い雰囲気を吹き飛ばし、
現状を打破する一歩を進み始める。
(取りあえず電話をするです)
壁にある時計で時間を確認すると、デスク上の電話に手を伸ばし、目的の人へと繋がる
番号をプッシュするのだった。
次の日、太一は仕事をサボってある店の前に来ていた。そこには「かわむら寿司」と書
かれた暖簾とドアに臨時休業の張り紙があった。そう太一は情報屋で有名な河村隆の店に
来ていたのである。しかし、太一は河村が情報屋をしていることなど知らない。知ってい
るのは亜久津の友人だということである。
「ご、ごめんくださいです」
恐る恐るという感じで引き戸を開けると、すぐに声が返ってくる。
「いらっしゃい、太一君。」
店主である河村はカウンターの椅子に座って待っていた。
「お邪魔しますです」
「どうぞ。お茶でいいかな?」
「あ、はいです」
立ち上がると、太一に椅子を勧め、河村はお茶の用意をするため、対面式のキッチンに
入った。
「ありがとうございます」
出されたお茶を一口飲んだのを確認すると、河村は太一に話を促した。
「僕にはもうどうしたらいいのか分からないんです。亜久津先輩とは連絡取れないし、千
石さんは放っておいてくれっていうオーラを出してて、僕のせいなのに僕は何もできない
んですっ」
涙を堪えながら太一は河村に思いをぶちまけた。
「太一君。もう少し詳しく教えてくれるかな? 君が千石君を助けたいのは分かった。具
体的にどうすればいいのか助言するにはもう少し詳しく聞きたいんだ。もちろん全てじゃ
なくて構わないよ。君が話せる範囲でいいから」
優しく、諭すように言う河村には慈愛が満ちていた。
太一はそれに安心して少し落ち着くと、自分が結論しか話していないことに気付き、恥
ずかしさで顔を林檎のように真っ赤に染めた。
「す、すいませんです」
「構わないよ」
クスッと笑いながら、太一に先を促す。そして、太一は洗い浚いここ数日に起こったこ
とを河村に偽りなく伝えた。
(太一君に紙袋を渡した人物は間違いなくアイツだな。そして、千石君に手紙を渡した人
物はまだ推測の域を出ないけど、おそらくは彼だろうね。厄介というか、早く対策を練ら
ないとまずいことになるかも。彼が関わっているなら手塚たちに任せる方がいいだろうね。
なんたって手塚の所には越前君がいるしね……)
「あ、あのう……?」
話し終えてから全く反応のない河村に不安を覚え、恐る恐る自ら声を掛ける。
「あ、あぁ、ごめんね。どうするべきか考えていたんだよ」
「……どうしたらいいですか?」
「うん。俺が信頼する探偵事務所を紹介するよ」
安心させる笑顔とともに太一の質問に答える。
「探偵事務所ですか?」
何故ここで探偵なのかという疑問がありありと見える。
「彼らはとても優秀な探偵だよ。そして、俺が考える限り今回の事件を解決できる唯一の
方法だと思う。どうする? 決めるのは君だ」
少しの間沈黙が流れる。
「行きます! 僕は河村さんを信じます。場所教えて下さいです」
「分かった。ちょっと待ってね」
一旦奥に引っ込み、紙とペンを持ってくると簡単な地図と住所・電話番号を書き込む。
「はい。たぶんこれで分かると思うよ」
河村から紙を受け取ると食い入るように紙を見つめ、この地図で充分だと判断すると宝
物のように大事に握り締める。
「ありがとうございましたです。突然相談事持ち掛けたりして、ご迷惑もおかけしたのに、
こんなに親切にしていただいて。後日改めて御礼に来ますです」
「そんなことはいいよ。気にしないから」
「でも……」
「じゃあ、事件が解決したら、亜久津たちと寿司食べに来てよ。ね?」
「はい! 必ず来ますです」
来店することを約束して二人は別れた。
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