青春探偵事務所 2


  





「神尾君。たまには外に出た方がいいわよ」

 杏は神尾から相談を受けてから何度も神尾を外に連れ出そうとしたが、神尾は頑なにそ

れを拒み続けた。それでも始めは良かった。近所への買い物に付き合ってくれたりした。

でも、今では杏が部屋に上がるのも拒み始めていた。

「神尾君……」

 家にいても相変わらず無言電話や盗撮された写真などが毎日のように送られてくる。

「ねぇ、ずっと一緒にいるから、少しくらいは外に出ようよ……」

 このままでは神尾の精神が持たない。

「……わかったよ。でも、絶対に一人にしないでくれよ」

 縋るような神尾に杏は何度も頷いた。毎日のように通っていて良かったと、杏は久し振

りの神尾の笑顔に瞳を潤ませた。

「それじゃあ、明日の十時過ぎに迎えに来るから!」

 そう言って、杏は帰っていった。

 そんな二人の会話を聞いていた人物がいたことにまだ誰も気付いていなかった。







 次の日。



 十時少し前。

 コンコンコン。

 杏がいつもの合図を送ってきたので、神尾は何の疑いもなく扉を開けた。

「!」

 しかし、そこにいたのは、スーツを着た若い男だった。

「すみません。こちらは神尾アキラさんのお宅でしょうか?」

「……そ、そうですけど、あなたは?」

「私は橘杏様から依頼を受けた青春探偵事務所の者です」

 そう言って男は名刺を差し出した。

「少しお話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか?」

「は、はい。どうぞ、上がってください」

 男の言葉に本当に杏が自分のことを心配してくれていたんだと思い、神尾は今度も何の

疑いもなく男を招き入れようとした。

「あ、あの、すみませんが盗聴器が仕掛けられているかもしれませんので、下にある車の

中でもよろしいでしょうか?」

「はい」

 全く男に警戒しない神尾は男の言葉にやはり何の疑いも持つことなく信用し、下に停め

てあるという男の車まで男の後に続いた。



 十時過ぎ。

 コンコンコン。

 杏はいつものように扉を叩いたが何故か返事がない。

「神尾君?」

 眠っているのかと思い声をかけてみるがやはり返事はない。少し心配になった杏がドア

ノブをそっと回してみると何故か扉は杏を迎え入れるかのように開かれる。

「神尾君?」

 靴を脱いで部屋に上がるが、神尾の姿はどこにもない。

「あ、あの、すみません。神尾君見ませんでしたか?」

 慌てて外に出た杏は、通りかかった人を捕まえ、神尾のことを聞く。しかし、その人の

口から聞かされた内容は、杏が一番想像したくなかった内容だった。

「あぁ、神尾君。彼なら十時前に背の高いかっこいい男の人と車でどこかに行ったよ」

 杏はお礼もそこそこに走り出した。

 神尾がスーツの男と出掛けたと聞き、杏の胸には悪い予感がどこからともなく沸き出で、

いつしか胸中はソレで満たされていた。杏は急いで不動峰警察署の署長である兄・橘桔平

のもとへ行った。



「兄さんっ!!」

 バタンと大きな音を立てて、ノックもせずに扉を開け、橘がいるであろう部屋に飛び込

んだ。

「……杏か。ノックもなしにドアを開けるとは何事だ?」

 突然のことに内心酷く驚きながらも橘はなんとか平静を装いながら杏に注意を促した。

「今はそんなこと気にしてる場合じゃないの! 神尾君が、神尾君が……」

 橘に抱きつき、杏は言葉も途中にとうとう泣き出してしまった。以前から神尾がストー

カーに合っていると聞いていた橘は、すぐにもしかしてと思い、泣きつく杏を強引に引き

剥がし、詳しい事情を聞くために杏を落ち着かせる。

「杏、落ち着け。何があったのか詳しく話してみろ」

 橘は逸る気持ちを抑え、優しい色を宿した瞳を杏の不安でいっぱいの瞳に合わせ、ゆっ

くりと話し掛ける。そんな橘の行為で漸く落ち着いてきた杏は、自分が得た情報、知って

いることを包み隠さず全て話した。

「一体手塚は何をやっていたんだ!!」

 杏の話を聞き終えた橘は物凄い勢いで怒り出した。そう、杏に神尾のことを相談されて、

青春探偵事務所を紹介したのは誰であろうこの人であった。それなのに依頼をあっさりと

断るとは、兄の面目丸潰れである。あの時に不二しかいなかったことが杏の不運であった

のだが、橘にはそんなことは全く関係なかった。

 杏の手を取ると颯爽と部屋から文字通り飛び出した。

「ど、どこ行くの。兄さん?」

「青春探偵事務所だ」

 静かに、だが、確実に凄みのある声で橘は杏に行き先を告げたのだった。







 カランカラン。

「いらっしゃいませ」

 元気のある声がやって来た客を迎え入れる。

「手塚はいるか?」

 側にやって来た桃城に脱いだジャケットを投げ渡すと、勝手知ったる他人の事務所。手

塚のいる所長室まで一直線にやって来た。

「しょ、所長。橘さんがお見えです」

「どうしたんだ?」

 資料に目を通していた手塚は、突然の橘とその妹の訪問にとても驚いている。何故なら、

橘は不動峰警察署の署長。こんな昼間から出掛けられる人物ではない。

「どうした?じゃない! 言いたいことは山ほどあるが、それよりまず不二はいるか?」

「いるにはいるが、どうしたんだ?」

「話は不二にも聞いて貰いたいから呼んで貰えないか?」

「分かった」

 そう言うと、手塚は内線で桃城に不二を呼ぶように頼んだ。ついでに、四人分のお茶を

用意するようにも言いつけた。さすがは手塚。一度の行動で無駄を省く男である。

 数分後……。

「失礼します……!?」

 入ってきた不二に橘は一枚のボールのようにグシャグシャに丸めた紙を投げつけた。

「……何?」

「何だ?」

 不二に当たり跳ね返ってきて傍に落ちたそれを拾い上げ手塚は固まってしまった。それ

は、不二が杏が依頼に来た時に書かせた依頼書だった。

「おい、不二! 俺はこの依頼について何も聞いてないぞ」

「あぁ、それ。別にたいした依頼じゃなかったから、僕の一存で断ったよ。僕にはもっと

難しい依頼がいいな〜」

「たいしたことないだと!」

 今にも橘は不二を殴りかかりそうな勢いである。

「お、落ち着いてくれ。一体何があったんだ?」

 手塚に宥められてイスに深く座り直しながらも、不二を睨みつける。

「今朝、神尾がいなくなった」

「!」

「家出?」

 ここでも、橘が真剣に話をしているのに、不二はまともに取り合おうとしない。

「不二! ……で、何か心当たりはあるのか?」

「これといって特にはないのだが、住人の話では、杏が来る少し前にスーツを着た若い男

と出掛けて行ったらしい……」

「それって単に友達と出掛けただけなんじゃないの?」

「お前は喋るな」

 さすがの手塚もこれでは話が進まないと不二を諌める。

「一日や二日人が帰って来ないくらいじゃ警察は動けない。だから、俺達の代わりに神尾

を探してくれ! 頼む、手塚!」

 部下から絶大な信頼を受けている橘が手塚に頭を下げる。

「分かった。……不二のせいみたいだしな。引き受けよう」

 不二が独断で勝手に断ってしまったために起こった事件であると言える。手塚も断るこ

となんて出来るはずがないし、昔からの親友である橘の依頼である。快く引き受けた。し

かし、手塚の隣に座って、手塚と橘の契約を聞いていた不二だけは、非常に面倒臭そうな

顔をしていたのを、運悪くお茶を持ってきた桃城だけが見てしまったことは秘密である。











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